今井良朗

ポスターや絵本などのグラフィック表現について考えてきました。展覧会の企画、ワークショップなどの地域活動、執筆が主な仕事です。現在は絵本をアート・デザインから研究していこうと思っています。  今井良朗のサイト=https://imaiyimp.jp

今井良朗

ポスターや絵本などのグラフィック表現について考えてきました。展覧会の企画、ワークショップなどの地域活動、執筆が主な仕事です。現在は絵本をアート・デザインから研究していこうと思っています。  今井良朗のサイト=https://imaiyimp.jp

最近の記事

印刷技術から見る書物・絵本のイラストレーション

● 書物や絵本は、印刷され製本することによって成り立っているが、イラストレーションについては、印刷によって生じる表現であることが強く意識されることはあまりない。特に今日の絵本ではまず原画ありきで、細部や色彩の正確な複製、再現を整版と印刷技術に求めることが一般的になっている。カラー写真製版技術の進化がそうしてきた面もあるが、たとえ高精細の複製物として再現しても、絵の具で描かれた原画と印刷物は組成がまったく異なるものだ。 イラストレーションと印刷技術の問題は不可分であり、それ

    • ボローニャ絵本原画展と表現技法

      板橋区立美術館で開催中のボローニャ絵本原画展を観てきた。ここのところ、印刷とイラストレーションについて書いてきたこともあり、今回は最近の傾向を含め表現技法と技術に注目してみた。  デジタル化が一般化し、インクジェット・プリントで仕上げた作品も多く、観ただけでは判別しにくい技法がかなりある。そこで、作品に付されているキャプションを手がかりにしてみたが、すっきり頭に入ってこないものもある。大切なのはイラストレーション表現そのものだとすれば、こだわる必要はないのかもしれないが、制作

      • イラストレーションとグラフィック表現

        東京オペラシティー・ギャラリーで開催されていた宇野亜喜良展が終了した。会場の混雑ぶりから、相当数の来館者があったのだろう。壁面を天井までうめるほどの空間もあり、膨大な展示作品に圧倒された。今なお制作を続ける情熱もそうだが、表現の多彩さに驚嘆する。  1960年代から作品に接してきたものとしては、やはりグラフィック作品が気になる。あらためて50年ほどの作品を辿ってみると、印刷によって表現されること、グラフィックに徹してきたことが見えてくる。宇野にとっては印刷されてはじめて一つ

        • アウトプットとインプット

          昨年9月から再開した研究会が先日4回目を終えた。参加者は7~8名ほどだが、私にとっては想定していなかった収穫があった。参加者からの希望もあり、これまで私が話してきたテーマを4回に分けて講義した。イメージによるコミュニケーションとイメージはどのように視覚化されてきたか、というのが大きなテーマである。  参加者は研究者、美術館学芸員、編集者、翻訳家、表現者と多彩だが、それぞれが抱えている問題意識を刺激し、イメージとことばについて本質的なところから意見交換できるよう心がけた。  

          デイビッド・ホックニーの眼

          東京都現代美術館で開催されている「デイビッド・ホックニー展」をやっと観ることができた。もっと早く出かけたかったのだが、会期中に鑑賞することができて本当に良かったと思っている。ちょうどホックニーの写真を話題にしていたこともあり、9台のカメラを用いた実験的な映像が気になった。  「四季、ウォルゲートの木々」と題する作品は、2010年夏、秋、冬、2011年春の4部で構成されている。  ジープに9台のカメラを取り付け、時速5マイル(8キロ)で1時間ほど移動し撮影したそうだ。映像は、カ

          デイビッド・ホックニーの眼

          絵本のイラストレーション

          私が絵本に興味を持ったのは、絵本はことばとイラストレーションが織りなす重層的な空間であることだ。複数のページがもたらす独特の時間と空間の表現に惹かれる。次の画面があることを前提にした構成と展開は、一枚の絵と異なり一冊全体で構想される。テキストだけを読んでも、イラストレーションだけを見てもすべては伝わってこない。この両者の相関性こそが大きな特徴になっている。  絵本と関わるようになったきっかけは、武蔵美の図書館で絵本を重点的に収集することになり、その収集を手伝ったことからだ。

          絵本のイラストレーション

          身体的記憶とデザイン

          デパートのエスカレーターが点検のために途中で止まっていた。4階から3階へは歩いて下りなければならない。歩いて下りると足の踏む出し方が不自然でなんともぎこちない。このような経験はこれまでにも何度かある。その度にぎこちなさを感じる。動いていることを前提に、身体的な記憶が止まったエスカレーターに反応してしまうからだろう。 人は、経験や身体の記憶を手がかりに行動していることが思いのほかある。突き出たものがあればとっさに身をかわす、水たまりはまたぐ、ベンチでなくても、腰掛けられそうな

          身体的記憶とデザイン

          書物は家のように ウオルター・クレインのデザイン

          「この美しい家は線と色彩から成る構築物」 、とウオルター・クレインは書物を家に喩えた。 表紙、見返し、扉(タイトルページ)、本文と続く流れは、門から入り、前庭、玄関、それぞれの部屋に続く流れと同じであり、書物をデザインすることは、家を設計する建築家のようなものとクレインは考えていた。  表紙はその家の門にあたり顔になる。表紙をめくると最初に現れるのは見返しだが、クレインは、「見返しは、一種の四角形の中庭、前庭、もしくは扉の前の庭、草地」と述べ、家の扉を開けて入っていくようにこ

          書物は家のように ウオルター・クレインのデザイン

          受け継がれてきたもの−原弘のデザイン

          武蔵野美術大学美術館で「原弘と造型:1920年代の新興美術運動から」展が開催されている。原弘の仕事は、東京国立近代美術館をはじめ多くの美術館で紹介されてきた。ほとんどは戦後のポスターや装幀を中心にしたものだが、1920年代30年代に焦点を合わせた展覧会ははじめてだろう。  展示作品には東京府立工芸学校教員時代のものも含まれている。新興美術運動に身を投じた20代30代のものが中心で、展示公開されてこなかった作品も多い。特種東海製紙が所蔵する作品が多数含まれている。 今年の4月

          受け継がれてきたもの−原弘のデザイン

          芸術性と複製性のはざまで

          先頃、立川市にあるたましん美術館に出かけた。「The Adventure of Fine Prints 版画からグラフィックアーツへ」と題した展覧会は、版画の来し方行く末を考えるうえで興味深いものだった。 版画は芸術性と複製性のはざまで揺らぎ葛藤してきた長い歴史がある。版画は宗教的図像や書物に挿入された挿画の複製が起源であり、複数制作することを前提にした印刷表現だった。作家の創造性と芸術性の探求が、商業的な印刷物と区分して考えられてきたが、もともとは版画と複製−印刷の境界が

          芸術性と複製性のはざまで

          ロシア絵本と光吉夏弥、原弘

          先日、白百合女子大学で行われた沼部信一さんの講演会に出かけた。「光吉文庫のロシア絵本について」の講演は、午後1時から5時過ぎまでという長時間にもかかわらず、時間を忘れるほど刺激的だった。  ロシア絵本については、これまで『ソビエトの絵本』『子どもの本1920年代』『幻のロシア絵本1920-30年代』などで紹介されてきた。光吉文庫として白百合女子大学が所蔵するロシア絵本に関連した講演会だった。  光吉夏弥とロシア絵本との関係、出版された同時期に日本に移入された絵本は誰の手に渡

          ロシア絵本と光吉夏弥、原弘

          見つけだすこと、感じとること

          挨拶は小さな声で、友だちとも距離を空ける。映像で流れる小学校の授業風景を見ていると切なくなる。とりわけコロナ禍で入学した子どもたちにとって、学校生活がどのようなものかいまだに手探りのままだ。小学校低学年は、いろいろ学ぶことも多いだけに心が痛む。  思い返すと、私が小学校低学年のころは学校での生活も遊びも目一杯楽しんでいた。学校は特別の空間であり、周辺の空き地や丘、池、友だちの家、すべての場所が繋がっていた。それほど掛け替えのない時期だった。このころの記憶も鮮明に蘇る。  

          見つけだすこと、感じとること

          紙芝居のある風景

          絵本作家であり紙芝居作家でもある長野ヒデ子さんから『かこさとしの手作り紙芝居と私−原点はセツルメント時代』を贈っていただいた。  かこさとしさんの絵本づくりの原点がが手作り紙芝居にあること、子どもたちに近い距離で語りかけるように描こうとしていたことが、長野さんのかこさんへの並並ならぬ愛情とともに伝わってくる。1951年からはじまったセツルメント活動、そのころ制作された『わっしょい わっしょい ぶんぶんぶん』など手作り紙芝居にまつわる話はとても興味深い。  紙芝居の魅力をあら

          紙芝居のある風景

          コミュニケーション・デザインと絵本

          日本ではなぜ絵本とデザインを分けて考えるのだろう。これはデザイン的な絵本だとか、デザイン的で子ども向きではない、という声をときどき聞く。だとすれば、デザイン的でない絵本や絵本らしい絵本とはどのようなものを指すのだろう。  デザインという言葉も、使われ方がさまざまであることを考えれば、仕方のないことかもしれないが、絵本の分野ではどうも造形的な面、しかもシンプルで飾り気のない平面的な形や色彩に対していわれることが多い。  絵本は絵の入った本であるために美術との関係は当然強いが、表

          コミュニケーション・デザインと絵本

          エリック・カールを偲ぶ

          エリック・カールが亡くなった。訃報に接したのが、コラージュについてエッセーを書いた翌日だったこともあり驚いている。エリック・カールにも触れていたからだ。  代表作『はらぺこあおむし』は、最も親しまれている絵本だが、鮮やかな色紙によるコラージュが、独特の世界をつくり出し、色彩の魔術師とも呼ばれている。  カールがつくる色紙は、薄い紙に色をつけたものだが、筆で塗るだけでなく、こすったり、ひっかいたりとさまざまな手法を用いることで、独特の質感と模様が表れる。つくりためた色紙はマップ

          エリック・カールを偲ぶ

          コラージュ、イメージの引き出し

          最近コラージュにはまっている。これもコロナ禍の影響かもしれないが、つくることが愉しい。つくづく手を動かすことが好きなのだと実感している。  といっても印刷物などを貼り付けるのではなく、パソコンのモニター上で作業する。アプリケーション・ソフトを使い、数枚のレイヤーを重ねていく。重ねる順番や大きさ、配置を自在に変えることができる。空間に縛られることのない自由度がとてもいい。  最終的な仕上がりは一切考慮しない。スケッチもなければ、事前の計画も立てない。頭に浮かぶことを形にしていく

          コラージュ、イメージの引き出し