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映画「『生きる』大川小学校津波裁判を闘った人たち」 生き残った者の生き方
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□大川小の3.11
わが子が見つかったとき、その体は砂にまみれていた。
目をなめて砂をぬぐい、鼻の砂も吸って取り除いた。
砂まみれの体をなんとかしてやることしかもう親にできることはなかった。
石巻市立大川小学校の生徒は約1分でたどり着く校舎裏の山へ避難することなく、校庭で約50分止め置かれ、津波に飲み込まれ70名が死亡した。(あと4名が見つかっていない。)
親たちは知りたかった。
学校で何が起きていたのか。
なぜわが子の助かる命が助からなかったのか。
□親たちは何度も殺された
教育委員会は逃げ腰で、原因を明らかにしようという態度ではなかった。
第2回説明会の冒頭では「60分で切り上げる」と一方的に宣言し、参加した石巻市長は死亡した子どもたちの状況を「宿命」と言った。
教育委員会は取材陣の前で「(遺族からの)納得が得られた」と話した。
震災以降、親たちはこうして何度も殺された。
教育委員会は関係者への聞き取りメモを破棄した。
校長は生き残った教員からの報告メールを消去した。
「山へ逃げよう」と訴えたと証言した生徒がいたが、そのような証言はなかったと教育委員会は組織ぐるみで否定した。
行政はなぜ逃げる。
なぜ嘘をつく。
何を守っているのか。
もし組織を守っているのなら、正しい原因究明をしないことはかえって組織の衰退にしかならない。
衰退してしまえ。
違うか。
自分を守っているのか。
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□裁判などしたくはなかった
行政の対応が絶望的であるため、第三者委員会に委ねたがここでも自治体におもねった結果が出されただけだった。
遺族たちは裁判などしたくはなかった。
しかし行政は真実を明らかにしない。
「なぜ避難する意思決定が遅れたのか」
「どうして避難先を誤ったのか」
親たちは大川小学校津波裁判を起こした。
証拠は津波に流されていたので、親たち自らが検証や証拠集めをした。
そんなに賠償金が欲しいのかと中傷され、遺族に「殺人予告」があった。
責任を取るという言葉をよく耳にする。
もっと責任をとることを普通にしなければいけない。
その場の責任者が最善と考える判断をして、もしそれが誤った結果になったら責任をとって役割を降りる。
大げさなことではなく、平然と潔くこのプロセスが浸透しているなら「校庭待機50分」はなかっただろう。
先生の言うことを聞いて死んでしまった生徒たち。
「先生の言うこと」は、どういう意思決定にもとづいていたのか。
先生方も10名亡くなっている。
ここにも助かるはずの命があった。
だから原因と対策が必要なのだ。
裁判は遺族側が勝った。
行政は未来に向けた行動をするのか。
行政は自らの過失の部分を認識できるのか。
親に喜びはなく、今日もわが子の写真を見ている。
時おり校舎に行き、廊下の荷物掛けに張られたシールのわが子の名前を見に行く。
その文字が薄れていっている。
一度、大川小に行かせてもらったことがある。
何もかもが流され、校舎だけがそびえていた。
もうすぐ12年。
あつかましくも生きている私はなにをすればいい。
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