映画「レナードの朝」 信仰にかわるもの
□レナードの朝(1991年公開)
「午前十時の映画祭」にて再上映
原題「Awakenings(目覚め)」
アカデミー賞において作品賞、主演男優賞(ロバート・デ・ニーロ)、脚色賞でノミネートされたが、受賞はならず。
この年はケヴィン・コスナーの「ダンス・ウィズ・ウルブズ」が7部門を受賞。
30年にわたる昏睡から目覚めた患者レナードと彼を救おうとするセイヤー医師の交流を描く。
ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズの共演。
監督はぺニー・マーシャル。
「ビッグ」 「プリティ・リーグ」
ロビン・ウィリアムズは、神経変性認知症に冒され、2014年に残念ながら死去した。
認知障害や運動障害を引き起こす病で、本作で取り上げられている疾患と共通していると言えるかもしれない。
□朝と黄昏
優美な音楽と街の風景。
楽しそうに走るレナード少年。
好ましい雰囲気の幕開けだが、
レナードは体の不調を覚える。
手がしびれ、
うまく文字が書けず
テストの答案を提出できなかった。
少年の不安な心。
それから30年の時が流れ、1969年。
神経病専門の病院に赴任したセイヤー医師。
彼は、入院以来意識が眠っている脳炎患者の
レナードにパーキンソン病の新薬を投与する。
レナードは目を覚ます。
自分の意思で体を動かせる。
話すことが、本を読むことができる。
そしてレナードはある女性に恋をする。
人生は胸が苦しくて美しいのだと知る。
しかし病状がまた悪化して
心身の自由が奪われていく。
痙攣が止まらない。
定まらない視線。
滞る会話。
だから彼女にさよならを告げる。
病院の食堂でのラストダンス。
目覚めたことで知った
人を好きになる切なさと
諦めることの痛み。
レナードはセイヤー医師に言う。
自分の悪化していく症状を撮影して
治療に役立ててほしいと。
□朝が来ないとき
映画終盤。
セイヤー医師と看護師エレノアの会話。
「君は僕を親切だと?
彼に命を与え、また奪うことが親切なのか?」
「命は与えられ、奪われるものよ」
「だがつらい」
「それはあなたが親切だからよ」
「・・・」
「彼が、友達だからよ」
無宗教の自分にとって
なにか信仰にかわるものを
持ち得ているとしたら
この映画の最後のセリフであったと思う。
20代のとき本作に出会ってから
このセリフを一度も手放したことはない。
人は絶望したとき
どうすればいいのか。
朝が来ないとき
何とつぶやけばいいのか。
ロビン・ウィリアムズは
再び意識の底に沈んでしまった
デ・ニーロの手をとり
暗闇の中で小さくつぶやく。
”let's begin”
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