月舟町三部作から感じたことvol.1 ~夜と雨の在り方~

この春休みにした数少ないことの中に読書がある。

色々と読んだけれど、1番印象的だったのは吉田篤弘さんの月舟町三部作。

月舟町三部作とは、『つむじ風食堂の夜』『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『レインコートを着た犬』で構成された小説のこと。(『つむじ風食堂と僕』という番外編もある。)

僕は『月とコーヒー』をきっかけに、吉田篤弘さんの鮮明でありながら輪郭のぼやけた世界観の虜になってしまった。

月舟町三部作においても、独特な個性をもった登場人物たちのどこか抽象的な心情表現が素敵だった。

抽象的であるが故にこちら側も考えさせられる部分が幾つかあり、それをここで紹介しようと思う。


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【夜と雨についての描写】

まずは夜について。

宇宙が死滅すれば、たぶんすべてが消えてなくなってしまうだろうから、われわれがたどり着いたちっぽけな概念に従って言うなら、

「夜は永遠である」

そういうことになる。

というより、昼こそが異常事態なのであり、本来なら、われわれはいつでも、あの暗い闇に浸されているはずだった。

うーむ、分かるようで分からない。

夜が永遠で昼が異常事態とはどういうことか、、、

「ええ。夜空というのは宇宙空間そのままで、あれがつまり平常な状態なんです。 異様なのは昼間の方で、太陽の光によって宇宙が見えなくなっているわけです」

なるほど、それもそうだ。

地球が奇跡の星と言われるのも、地球が太陽系において生命が繁栄する異常さを持っているからだ。

そう思うと、夜こそが本来のあるべき姿であるというのも理解できる。

昼は太陽で宇宙空間を認識することができない、確かに異様だ。

次はこれを雨に置き換えて考える。

「ふうむ」と親方が組んでいた腕をほどいた。

「考えるのは自由だからな。しかしそうなると、晴れっていうのが、むしろ異常なわけだな」

「ええ。昼間と同じです。それは、この星にとってめずらしい状態なんです。つまり、晴れた空が曇るのではなく、曇ったり雨が降ったりしている空が稀に晴れるんです。そう考えれば、昼間や晴れが、いかに貴重で有難いものかわかります。そして、雨降りこそが、この星にとって親しみのある本来の姿なんだと実感できるでしょう」

雨降りが平常で、晴れが異常。

地球に生命が誕生するきっかけは、途方もない年月降り続けた雨で、雨は生命を育む。

つまり地球の本来の環境は雨で、今現在もゆるやかにその傾向が続いている。

これは僕の心を激しく揺さぶる考え方だった。

なぜなら、僕は日照時間の短い裏日本の気候が大嫌いだから。

雨や曇りが地球の本来の姿。

だから悪天候を恨んではいけない。

もし雨や曇りで気分が沈んでしまったら、これはあくまで地球の平常運行なのだと解釈する。

そして晴れの瞬間には、その有難みを噛み締める。

問題の根本解決にはならなくとも、こう考えることで少し気が楽になる。


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【孤独こそ人間の本来あるべき姿なのかも】

物語には夜と雨の描写しかないが、僕は孤独についても同様なのではないかと感じた。

つまり、人間にとって孤独が正常状態であるのではないか。

人間は誰もが違う過去を持ち、オリジナルな価値観に従って生きている。

この原則がその人をその人たらしめるのだと思う。

だから孤独を嫌って他者と深く関わろうとすると、どこかで歪みが生じてしまう。

自分の価値観と相手の価値観との衝突。

両者は共に原則に従った正しいもので、そこに優劣はない。

したがって、親友や恋人、結婚相手というのは、無数の衝突を繰り返してはその度に乗り越え続ける関係性であり、異常状態なのだと思う。

まさに奇跡だ。地球のように。

孤独こそ人間の本来あるべき姿だと捉えて、孤独を忘れさせてくれる他者の存在を異常状態だと捉える。

そして、そんな素敵な他者と過ごす瞬間の有難さを噛み締める。

丁度、雨と晴れのように。


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小説を読んでこんなにも物思いに耽ったのは初めての経験だった。

他にも考えたことがある。

それはまた別の記事で書こうと思う。

素敵な作品に出会えてよかった📚

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