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【原動力の哲学】リヴァイ兵長の言葉から仕事のヒントを得た。【進撃の巨人】
はじめに
漫画やアニメの劇中のセリフから学ぶことは多い。
YouTubeなどでもよく、アニメ・漫画の名言集などのまとめ動画がアップロードされている。
今日は『進撃の巨人』のリヴァイ・アッカーマンのセリフから最近感じたことを書きたいと思う。
『進撃の巨人』は今や言わずと知れた世界的大ヒットの漫画だ。アニメもアニメで神作画や人気声優陣の活躍が話題に上がりっぱなしの傑作である。
リヴァイ兵長の名言
『進撃の巨人』にはたくさんの名言があるし、漫画やアニメを知らなくても有名なセリフも多い。
特に有名なのは「駆逐してやる!!この世から…一匹…残らず!!」や「心臓を捧げよ!」だろうか。
漫画やアニメをご覧になっている人にとっては、自分の心に残っている場面やセリフがあると思うが、私にとってそれは、リヴァイ・アッカーマンが女型の巨人との攻防の最中にエレン・イェーガーに諭すように言い聞かせた次の言葉である。
「俺にはわからない ずっとそうだ… 自分の力を信じても…信頼に足る仲間の選択を信じても…結果は誰にもわからなかった…」
「だから…まぁせいぜい…悔いが残らない方を自分で選べ」
(次のセクションで場面の展開を描写するので、ネタバレが含まれます。それでも大丈夫な方であれば読み進めてください。)
選択と結果
私が先のセリフを印象的に感じるのは、今の自分がその二者の選択の繰り返しによって成り立っていることを理解しているためだ。
人間は必ず選択をしていかなければ生きていけない。そのとき選択するのはいつも自分だが、働いていたりすると、自分の力だけを信じて何かをするよりも誰かの指示を受けてそれに従う方が良いように思われるといったケースも本当によくある。(というより、新人ならほとんどがそのケースだ。)
リヴァイ兵長に先のセリフを言われた時のエレンもまさに女型の巨人を捕獲するという仕事中で、自分の力を信じて突き進むか、リヴァイやリヴァイ班の先輩たちの言うことを信頼して従うのかと言う選択を迫られていた。
エレンは結局リヴァイ班の先輩たちの言うことに従ったが、結末は悲惨で、女型の巨人によってリヴァイとエレンと行動をともにしていたリヴァイ班員は全滅し、エレンは自責の念からか結局自分も巨人化して女型の巨人と対峙するが、果たして捕獲するという作戦の目的は達されなかった。
よくある展開だったら、先輩たちの言うことを聞いたエレンの選択が報われ、リヴァイ班は全員無事、女型の巨人も捕獲できて、「やはり信頼に足る仲間の選択に従うことは素晴らしい」的な綺麗事で終わるのがあるあるだと思っていた私にとって、この予想と真逆すぎる結果は衝撃的だった。(このように綺麗事で終わらず、でも現実そのようなものだから納得感もありモヤモヤもしない場面が多いところも『進撃の巨人』がヒットする理由の一つのような気もしている。)
さらに印象的なのは、この時のエレンの選択が正解だったとも、不正解だったとも言えないことだ。見ている方もわからないし、アニメの中にいた登場人物の誰にもわからなかったはずだ。ただ明らかなのは、エレンの選択と結果があるということだけである。
責任を持つということ
エレンは自分の選択に責任を感じていた。
あの時自分が自分の力を信じて巨人化していれば、こうはならなかったかもしれない、と。
しかし興味深いのは、エレンがリヴァイ班の先輩たちの言いつけを守らずに先に巨人化して女型の巨人と闘ったからといって、「こうはならなかった」かも知れないが、例えば「リヴァイを含む全員が死亡する」などのさらに悲惨なことにもならなかったとは言い切れないところだ。
現実世界の仕事でも同じことが言える。
つまり、自分のアイデアや違和感を信じて行動するのか、信頼に足る仲間の指示に従って行動するのかによって、どのような結果が生まれるのかという未来の予想はできないということだ。
できるのは、今ここで下そうとしている選択に対して自分が責任を持つということだけだ。
重要なのはこれだ。どのような選択に対しても自分で責任を負って成果を求めるということがとても大切だと思う。
端的に言えば、「自分の力を信じる」も「信頼に足る仲間の選択を信じる」もどちらも自分の選択だからだ。後者を選んだのは自分なのに、成果が出ないからといって仲間に責任を転嫁するようなことがある場合、そのような考え方では結果も出ないし、自分も成長しない。
その点エレンの姿勢には見習いたい部分がある。仲間を信頼したことで最悪の結果の一つを導いてしまったことに対し憤りすぐさま巨人化して状況を少しでも好転しようと行動したためだ。
もしあの場面でエレンが仲間の選択に責任転嫁し、「あのとき違う方を選択していなければ”こう”はならなかったはずなのに…」と後悔するだけで次の行動を起こさないとしたらエレンもあの場で女型の巨人に攫われていたことだろう。
おわりに
自分の力を信じるとしても、信頼に足る仲間の選択を信じるとしても、それが後悔が残らない(と思う)ものなら、必ずその選択に責任を持ち、行動しなければならない。
そして選択し、責任を持つと決めたことに関しては常により良い状況やより良い結果を求めて行動し、改善を試みなければいけない。そのように考えられず、自分以外に責任を転嫁することでは求める将来や結果は得られない。
何かを決定するというのはそれくらい厳しいものだと思う。まして、自分の求める結果を出そうとしている人間にとって、自分の選択というのは常に責任の伴うものだ。ストイックに考えなければ求める結果は出てこない。
もう一度リヴァイ兵長の言葉を載せよう。
「俺にはわからない ずっとそうだ… 自分の力を信じても…信頼に足る仲間の選択を信じても…結果は誰にもわからなかった…」
「だから…まぁせいぜい…悔いが残らない方を自分で選べ」
リヴァイ兵長ほどの実力者でも、結果は「わからない」。だが、悔いが残らない方を選び、自分の責任のもとで行動することはできる。責任を果たす方法は求めた結果を出すか、結果が出るまで改善し続けることである。
結果は誰にもわからないが、責任の所在を自分にして行動し続けることはできる。そのルールのもとで明日からの仕事にも臨んでいこうと思う。
どのような結果になったとしてもそれは選択をした自分の責任であり、常に次の選択が迫られる。