見出し画像

#86【介護雑記】映画「ロストケア」にみる「親の介護」と「法律」のお話。

2022年、両親の「老々介護」が崩壊して後、MCI(軽度認知障害)の父87歳を、「我が終の住処」として、2021年に買ったばっかりの築古40年の我が家で、絶賛在宅介護中なう。ビジネスケアラーやってます。(今は、ほぼテレワークにしてもらってるけどw)

2023年に認知症の母が他界。最後はグループホームで、看取りまでお世話になりました。私の母は、50代後半に発症した「うつ病」から、そのまま認知症へ移行してしまい、74歳の時に「アルツハイマー型認知症」と診断され、81歳で亡くなりました。

「認知症」以外の基礎疾患もなく、歯も耳も骨も丈夫で、大きな手術や入院の経験もなく、本当に「認知症」だけで「枯れるように逝った」という、レアケースかも知れません。しかし、その介護は、壮絶でした。(私にとっては。)それは、noteの他の記事を読んで頂ければ、お察し頂けるかと思います。

”もう二度と、認知症の介護は出来ません。”

”したくありません!!!”

”関わりたくない。”


ぶっちゃけ、これが本音ですw
これが仕事の案件ならば、どうしたって”お断りしたい案件”でございます。

そして、仕事の案件ならば、通常、「採算が取れない。」という事を事由に、大概、お断り出来る案件でございます。ここで先様から報酬を上げて頂いたとしても、「手を出してはいけない案件」である事に変わりはございません。

世の中には、どんなに金を積まれても、”出来ない案件”というのがございます。「認知症の親の介護」というのは、そういった事案に含まれるのです。

なのに、これが、”断れない案件”なワケですね。

それまでの親子関係が良好で、親に対して感謝や愛情を自覚されている方、もしくは、社会的道義感や倫理観、それに対する責任感を強く持っている方であるなら、それらをエネルギー源として、積極的に介護に取り組めると思います。

しかし、要介護者が認知症を発症すると、たちまちその「絆」や「情愛」、「社会的道義感」や「倫理観」は、「認知症」のBPSD周辺症状や中核症状の進行により、無情にも絶たれてしまいます。この衝撃は激烈です。

しかし、そこからが、「本当の介護」の始まりとなります。

そして、それは”断ることは出来ない案件”です。

”親子”である限り ―――。


何故なら、これは日本の法律、民法877条第一項の「扶養義務」で定められている事案だからです。具体的には「身の回りの面倒を見る義務」と、「経済的に扶養する義務」の2つがあります。(「育児放棄」を抑制するのと同じ法律ですね。)

・「身の回りの面倒を見る義務」とは、日常の介護を示します。

・「経済的に扶養する義務」とは、例えば、親を施設に入所させるとして、その運転資金が親の年金で足りない時には、不足分を子供が負担しなければなりません。(これ、法律で定められているんですよ。)

映画「ロストケア」で、生活に困窮した斯波(しば)が、生活保護申請を却下されるシーンがあります。観客は、「なんて冷たい行政なんだ・・・。」と胸を痛める所ではありますが、実はこれ、法に則った「正しい対応」なんですよね。

斯波には、父親を「経済的に扶養する義務」があり、同居している子供が就労可能な状態であるならば、生活保護は法令規約上、認定されません。

ですが、生活保護は現時点では認定されないけれども、だったら、斯波が就労できるように、それこそ介護保険サービス等、社会福祉資源を駆使して、行政が支援するべきだったと思うんですよね。

そのシステムは役所の中にもある。そこへ繋いであげるべきだった。

それが、行政の仕事ですし、そういった仕事を、しっかり連携して取り組んでいる行政、窓口担当者も沢山いらっしゃる。

実際、認知症の母の介護に困窮した私の手を、一番最初に掴んでくれたのは、役所の介護福祉課の窓口担当者の皆さんでしたし。(深謝)

※「生活保護」に纏わる「闇事案」については、映画『護られなかった者たちへ』で、よく描かれていると思います。


いずれにしても、親の介護事案について、どんなにそれが過酷な事でも、辛い事でも、「親の面倒なんか一切見たくない!!」「親の介護に金なんか出せない!!」と、断る事は出来ない「法システム」になっているんです。

特別な事由のない限り、親の介護を放棄すれば、それは「育児放棄」と同じく、「保護責任者遺棄罪」に該当し、3ヶ月以上5年以下の懲役が科される可能性もあり。

さらに、介護放棄により親が亡くなったり怪我をしたりした場合、「保護責任者遺棄致死罪」「保護責任者遺棄致傷罪」、に該当します。

「保護責任者遺棄致死罪」は3年以上20年以下、「保護責任者遺棄致傷罪」は3ヶ月以上15年以下の懲役が科されることになる・・・。

映画「ロストケア」の大友検事(長澤まさみ)は、この罪に該当する恐れがありますね。これについて、その後、どう解決したのか、映画には描かれていませんが・・・。大友検事自身は、”その自覚”があったと思います。

だから、ラストシーンで、斯波に会いに行った。
「検事」としてではなく、「いち家族介護者」として。

私は、あのシーンを、そう観ています。

お互いに、どうにもできなかった、苦しい苦しい、家族介護者同士として、斯波と大友検事は、それぞれの罪を共有し、その心を共鳴させた。

だから、観ている方も、深く心が震える・・・。
時に、えぐられる様に。

それは、「法律」という「社会正義」だけでは、決して裁き切れない、人としての深い情愛と、それ故の罪を、強く感じるからだと思います。


「親の介護」も、それに関連する各種法令で縛られています。その施行責任は、「親子」である限り、逃れることは出来ません。

これは、どんなに親が資産家であっても、そうでなくても、「施設」に入所しても、そうでなくても、遠距離と世帯が離れていても、そうでなくても、「扶養義務」が「免除」される事はありません。(一般的には。)

親が、子供が成人するまで、法的扶養義務があるのと、全く同じ事なんですね。

かつて、育児をしていた時に、「どうにもならん!!」と、「育児放棄」をしたくなった瞬間があった様に、「介護」にも、「介護放棄」をしたくなる局面が何度も発生します。

でも、「育児放棄」は、虐待であり、「法令違反」だと誰もが認知しています。だから、投げ出す訳には行かない。(法令による抑止力です。)

パパやママ達が、何とか工夫して、勉強して、時には保育士や教育機関、行政の協力を得ながら、子育てを成し遂げるわけです。

それと同じ事を「介護」でもしろと、そういう”法制度設計”なんです。

子育て中に苦しい局面を乗り越えるのに、様々な大きな負荷がかかった様に、それと同じか、それ以上の爆発的負荷が「介護」にはかかります。特に、要介護者が「認知症」を発症してからの介護には。

子育てには、子供に対する”無償の愛”が、その負荷を克服する無双のエネルギー源になりますが、「介護」には、その無双のエネルギー源が通用しない局面が多々あります。

でも、「介護放棄」することは出来ない。
それは、法令違反に該当するから。

この究極の困窮を、”救う”と、言うのが「ロストケア論」なわけです。

コンセプトとしては、間違っちゃいないんですよね。そして、そのニーズは、実際に、確実に、あると思うんです。

但し、それを施行する方法が、「殺人」という、これまた社会正義上、許されない「法令違反」だから、ダメなわけですよ。

「ロストケア論」を「正義」であり「正しい手法」とは、諸手を挙げて、支持賛成はできないけれど、現行、困窮度が逼迫するばかりの認知症患者やその家族介護者に、確実に救済の手が伸びる、手厚い法整備が、本当に、早い時期に必要だと私は思います。

本日のレポートは以上です。
ここまで3,215文字で、ございました。
毎度、長文をお読みいただき、心より厚く御礼申し上げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?