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#74【介護雑記】私が知らなかった「葬儀の世界」。~葬家奮闘編~

当家は、母を亡くした事で、初めて「ご葬家さま」と呼ばれる立場に立った。初めての「認知症介護」に、初めての「ご葬家さま」・・・。

初めての「認知症介護」は、それこそ、魂を削られる思いだったが、「葬儀は、葬儀会社が入ってくれるから、丸投げできる。楽勝だw」などと、考えていたら、これが大間違いだった・・・。

私が知らなかった「葬儀の世界」を、ご紹介しよう。


【 その1、菩提寺が決まっている場合は、必ず菩提寺に連絡。】

すでに(菩提寺の)檀家になっていて、お墓の場所も決まっている場合は、葬儀会社に連絡すると同時に、菩提寺にも必ず連絡しなければならない。

※極端な話、「葬儀会社」は、何処でも良い。とにかく、まず最初に菩提寺に連絡が肝要。

菩提寺から遠方で葬儀告別式を行わなければならない時でも、菩提寺に相談すれば、それ相応の適切な対応を指示してくれる。それに沿って、葬儀告別式をおこなえば、後日、納骨までスムーズに出来る。

※葬儀屋さんの料金が安いからと言って、菩提寺に相談せず、葬儀屋さんが手配した僧侶による葬儀を行って、後から、菩提寺に納骨だけする。というのは禁じ手。後でトラブルの元になる。(これは知らなかったポイント1)

※菩提寺もお墓も決まっていない場合には、葬儀屋さんが手配する僧侶による葬儀告別式が可能。お骨も、お墓の場所が決まるまで、納骨堂などで預かって頂ける。(但し有料の所もあり。)

【 その2、葬儀屋さんは基本的に、菩提寺への取り次ぎはしてくれない。逆に、遺族側が、葬儀屋さんと菩提寺の取り次ぎをする。】

菩提寺への第一報は、遺族代表、できれば「施主」から連絡して、担当する葬儀会社を菩提寺に取り次ぐ。

なので、ターミナルケア期などに入って、「そろそろお迎えかな・・・?」と感じたら、まず、「施主」は、誰がやるのか?親族間で確認しておこう。

連絡指示経路は、【 葬儀屋 ↔ 施主 ↔ 菩提寺(僧侶) 】が、基本となる。

従って「施主」が高齢で、実務や判断力、決裁力が厳しい場合には、”遺族代表窓口者(リーダー)”を、別に決めておいた方が良い。

ここが、葬儀会社に”丸投げ”できない大きな理由。

母が亡くなった時、「施主」は当然、高齢の父が務めたわけだが、決裁しなくてはならない事案が多すぎる、また、何度も打ち合わせしなくてはならないなど体力気力が保つはずもなく、私が”遺族代表窓口”となった。

”遺族代表窓口”は、事実上の「執り仕切り役」。ドラマや映画で例えるならば、「監督兼プロデューサー兼ディレクター」みたいな感じ。

葬儀屋さんは、いわゆるアシスタントディレクター(AD)さん位の立ち位置なんですよね。(これは知らなかったポイント2)当然、主役は「仏様」、次が「僧侶」、次が「施主」、次が「遺族」。一般葬の場合は、最後に「参列者」という感じ。

いや、葬儀屋さんが「監督」して、全て仕切ってくれるのかと思いきや、実際は、「どうなさいますか?!」とか「如何なさいますか?!」の嵐々・・・

「訃報」の手配より始まり、「祭壇」から「服飾品」「副葬品」「骨壺のデザイン」「棺」の選定、「献花」の量と手配、清め膳の内容、「湯灌」「納棺」などのタイムスケジュール、一般葬なら、これプラス「返礼品」の選定、数の把握、受付者の手配、駐車場の誘導割り振りまで・・・。(いや、もっとあった気が・・・。)

短時間で、怒濤の如く、次から次へ、もの凄い量の事案の決裁を求められる。そして、そのどれもが、”はじめて”なわけで。しかも、1回こっきり・・・。

1度だけの”最期の舞台”で、どれだけ仕上げるか?どの程度で仕上げるか?

このプレッシャーと判断は、「究極」だった・・・。

仕事で管理者やっていても、こんなプレッシャーは、中々ない。まるで災害時の危機管理者並みのプレッシャー。

※ちなみに当家は「高野山真言宗」で、葬儀会社は県内では、誰もが知っている大手の所です。「シンプルな小規模家族葬で・・・。」と希望していたが、まさかの、こんなに葬儀屋さんから”圧”が掛るとは思わなかった。


などなどなど・・・。

勿論、信仰する宗教や宗派によって、また、地域性や、個人個人の考え方によって、「葬儀告別式」の方法も「埋葬方法」も、違ってくると思うけども、一度、「葬家」を経験すると・・・、

終活は大事!!

って、つくづく、思い知らされるw

「親の介護」を考えなければならない世代になったら、せめて、【親が「檀家」になっているお寺さんは何処か?】とか、【そのお寺さんに埋葬を希望されているのか?】という点だけは、それとなく、確認しておくことをお薦めする。

「ご先祖様のお墓は供養しているけれども、私はお墓なんかいらないよ。お金をかけずに、お葬式してくれればいい。」

と、言われた場合においても、前記事で書いたように、いずれにしても【「墓地埋葬法」(墓地、埋葬等に関する法律/昭和23年5月31日法律第48号)】という法律に則り、どんな形式であっても、ご供養を済ませ、”埋葬”しなければならないわけで。

ご本人がすでに認知症を発症していて、明確な意志や希望が汲み取れない場合には、本人以外の家族間(主に子供達間)での「(親の)葬儀について」事前協議や情報共有は、しておいた方が良いと思う。

特に、親の介護に、心血を注いでいる「介護キーパーソン」ほど、「終末期」や「葬儀」の事までは、考えられない場合が多い。むしろ、「怒り」や「反発」する心理の方が大きい。(これは私も一時期はそうだったから、とてもよく理解できる。)

そういった「介護キーパーソン」ほど、看取った後のバーンアウトも深い。

その時に、周囲の家族や親族が『迅速且つ適切に動ける。』という体制が、最後まで「介護」を支え、最期まで「故人の尊厳を守る。」という事に繋がる ―――。と、私は痛感している。

「親ひとり子ひとり」世帯の介護や、「要介護者」と「介護者」が1対1のケースでは、「葬儀」や「埋葬」まで考えることは、本当に経済的負担も心理的負担も大きい。

万一の時に、頼れるインフラや、良質な葬儀サポートサービスに、手を伸ばしてくれる事を願っている。

そして私は、生前に、自分の葬儀や埋葬地を決めて、子供達に「マニュアル」を作って残すべく、準備中なうw

自分の葬儀を考えるのも、結構、楽しいもんだw

最近、話題の『宇宙葬』、ロマンがあっていいよねぇ~w
費用も20万~と、案外リーズナブルw
(宇宙ロケットで月面まで送ると100万円~)

『樹木葬』も、いいよね~🩷

ここら辺は、土地の余っている田舎だから、最近『樹木葬霊園』という、ちょっと見、公園型の霊園も増えて来ている。(これがまた素敵w)

「介護」にも、子供達に迷惑はかけたくないし、「葬儀」や「埋葬」、その後の供養とか、お寺さんとの付き合いにも、負担かけたくはない。

財産なんか残せなくとも、シンプルで良い”道しるべ”を、残してやりたいと思っている。

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