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#154【介護雑記】絶賛「介護ウツ」なう。
私はもう長い事「介護ウツ」の渦中にある。自分の不調に気づいたのは、2022年の初秋だった。
2016年頃から母の異変には気がついていて、ボチボチ家事介助に通い出し、母が「アルツハイマー型認知症」を発症して、既に、主治医から認知症の薬を処方されていると知ったのは2020年アジサイの咲く季節だった。
それからというもの、「何とかしなくてはっ!!!」との想いに駆り立てられるまま、夢中で、親の介護に、のめり込んで行った。その頃はまだ「認知症」についての確固たる知識もなく、密な「家事介助」をしてやれば、「認知症も治る!!」と思っていた。(無知って恐ろしいw)
BPSD周辺症状? なんだそれ?
母は、元々、こういう嫌な性格なんだよ!💢
うつ病歴20年の毒母だしなっ!!💢
「うつ病×認知症」の母の病症は、他の人とは違う。母の性格は、私が一番良くわかっている。母への対応を正しく出来るのは、自分しかいない!!!
自分は管理職として、長年、色々な課題に取り組んで来た。危機管理マネジメント、人材育成マネジメント、企画、営業、経理、購買、そして経営、これだけの経験値があれば、「介護案件」も、出来ないはずがない。
行政の手なんか借りなくても、上手くやれる!!
苦労して立ち上げた事業がようやく軌道に乗ったと思ったら、それがコロナ特需で、毎日が人員不足でパンク。だが、ここで倒れるワケには絶対に行かない!! ましてや「親の介護」で、仕事休むなんて、出来るかぁーっ!!💢
思えばこの頃には既に、激烈なコロナ禍対応に揉まれ、私の心身は壊れ始めていたのだろう。しかし、精神疾患の主な特徴として、「自覚症状」や「病識」を本人が認識する事はできない。
私もご多聞に漏れず、「自分の心身が壊れ始めている。」等と気づけるはずもなく、例え気づいたとしても、それを事由に、倒れるワケにはいかなかった。
「介護ウツ?!」そんなものに捕まっている場合じゃーねぇ!!
仕事も介護も、ひたすらパワープレイだw
あの頃は、世の中、皆、必死だった。新型コロナウィルスの感染から自身も守らなくてはならない、仲間も家族も守らなければならない、仕事(職場)も守らなければならない、お客様への感染も守らなくてはならない・・・。
全員が、毎日、ひたすら戦っていた。
それなのに、母は、「寂しい。」「構って欲しい。」と、どんどん絡みついてきて、挙げ句は「なんでIlsa子は、仕事なんかしてるの?親の事など、どうでもいいの?!」「あんたの仕事なんか、どうでもいい。ウチに来なさいよ!」と、来たもんだ。
あなたの事が心配なのよっ!!💢
(嘘つけ!! 自分の事が心配なだけだろうが💢)
まぁ、そりゃ~、母の息の根も止めたくなるよねw
でも、これこそが、『介護ウツ』のピークだったんだよね。
あの時、父が心不全を起こして救急搬送され、「老々介護崩壊」という緊急事案が発生しなければ、私は確実に、母の命を奪ったと思う。そして、自分の命も捨てたと思う。
”満身創痍で倒れた父を救うには、母を施設に預かってもらうしかない。”
その必然性から、ようやく行政に伸ばした手を、幸いな事に掴んでくれた人達がいた。
父が病院に入院し、母を「小規模多機能型居宅介護施設」へ預けた後、私は、人知れずゲッソリと、バーンアウトしていた。もちろん、その自覚はない。
父が退院した時の為にと、色々と準備に余念がなかった。
2022年の初秋、父の1回目の冠動脈カテーテルステント手術が無事に終わったある日、私は、簡単な案件の決裁が出来ない事に気づいた。
”こんな簡単な案件で、何を迷っているのだろう?自分・・・。”
いやいや、「迷っている」のではない、考えられなくなっていたのだ。
事案に向き合う気力が出ない。それでも急ぎの案件は何とかこなせたが、管理職として裁量を発揮しなければならないイレギュラー案件への対応が、しんどくて堪らなくなった。
それまで、難なくこなして来たマルチタスクが音を立てて崩れていく・・・。
自分の仕事のパフォーマンスが、どんどん低下していく。それを感じる度に、心も身体も、思うように動かせなくなった。
”おかしい・・・💧”
薄々、自分の心身の異常に気づきはしたが、病後の父の「せん妄」を、何とか解いてやらねばならない。認知症になって、母の様になってしまったら、あまりにも、父が不憫だ・・・。在宅介護どころの話ではなくなる。
”この不調は多分、更年期のせいだなw”
そう考えれば、納得した。更年期なら、医者へ行ってもしょうがない。”抜ける”まで、何とかつきあって行くしかない。
だがしかし、事態はどんどん悪化した。
● 父の夜間の「せん妄」行動が気になって、夜は殆ど眠れない。
● 急に如何ともし難い「不安感」に襲われる。
● なんでもないのに、涙がボロボロ出てくる。(泣く)。
● 「自分がやらなくては!!」というハイな使命感が湧く反面、急に、死にたくなる。
● 「誰にも理解してはもらえない。」と、周囲の者を拒絶する様になる。
● 決断力の極端な低下により、「買い物」に異常に時間がかかるようになる。➡️「買い物」に行けなくなる。➡️引き籠もる。
● 「好きな事」をするのが、しんどくなる。
● 介護以外の案件への「無気力」「無関心」➡️とにかく仕事がしんどい。パフォーマンスの低下に伴う自責の念に駆られる。
● 風呂に入らなくなる。自分に対する無気力、無関心。
● 家族以外の者と話したり会うのがしんどい。
● 「美容院」に行かなくなる。
「まったくさ、更年期って、しんどいよねーw」
父の介護プランの事で、定期的に連絡をくれるケアマネのMさんと電話でおしゃべりをしていたある日、
「Ilsaさん、あのですね、それは、”更年期”じゃなくて、”介護ウツ”です。家族介護者さまによく見られる、典型的、ウツ症状なんです。」
「え?!”介護ウツ”??いやいやいや・・・。自分に限ってそんな事は・・・。」
「皆さん、そうおっしゃいますが・・・。Ilsaさんと初めてお会いしてから数ヶ月、お見守りさせて頂いてますが、私が観ていたのは、お父様の事も、もちろんですけど、Ilsaさんの事なんですよ。Ilsaさんの事が、私はずっと心配でした。」
”え・・・・。私がウツ病?母と同じ・・・?”
”そ、そ、そんなバカな・・・。”
「できれば、心療内科の診察を受けて欲しいと私は思っています。そうでなければ、お父様、そろそろディサービス、始めてみませんか?”介護ウツ”は、お父様と少し離れる時間を作る事で、改善される事も多いですから。このままだと、Ilsaさんが、潰れてしまいますよ?」
ケアマネのMさんとは、父が倒れて入院した直後から世話になっている。父の事をよく観察して、いつも気に掛けてくれていた。信頼できる人だ。
しかし、その彼女が観ていたのは、「父」ではなく、まさか、私の事だったとは・・・。どうりで、父が入院中の不在の間も、よく訪ねて来てくれたり、電話をくれたりしたワケだ・・・。
介護職歴25年、ベテランの彼女が、私の事を「介護ウツ」と判断するならば、「間違いはない。」と思った。何より、「私のケア」を慮ってくれていたのが、泣ける程、嬉しかった。
私は、彼女が提案してくれた父の介護プランに任せることにした。
そして、私は「自分は今、介護ウツ。」という”病識”を持ち、仕事の量を少しづつ減らし、父の介護にも「執着」を捨て、なるべく生活のリズムに無理がないよう、仕事と介護の両方から、「自分の心身の解放と回復」を目指した。
それは今も、絶賛継続中ナウw
「介護ウツ」は、介護が終わらない限り、ずっと付き合って行かなければならない・・・。
昨年5月に開設したこのnoteは、私の「介護ウツ」の良きリハビリ。
私の記事が長文なのは、いつも自分自身に問うているからだ。「大丈夫か?!自分?」「これで良いのか?自分?」と・・・。
そして、皆様から頂戴する、暖かいコメントやスキ🩷が、私の心のケアになり、私の介護を力強く支えてくれている。
私の拙いnoteに、おつき合い頂いている方々に、あらためて、心からの感謝を申し上げます。
いつも、ありがとう。
父が今日も穏やかなのは、きっと、皆様のおかげなんです ――。
「介護ウツ」が気になった方、是非、下の記事も読んで行って下さいね。
「介護ウツ」セルフチェックシートもありますよ! ⬇️⬇️⬇️
知識は武器。介護とは、助け合いなのだ。