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#115【介護雑記】名もなき介護 その1~「時」を護る~

以前、「もし、あなたがリタイア(退職)したら、一番最初に、何をしたいですか?」という問いに、「腕時計を捨てたい。」と答えた人がいる。

その人が望むものは、全てを支配された”時間”からの解放・・・。

ビジネスパーソンであったなら、そう望むのも無理はない。私だって、そう望むかも知れない。

だが私の父は、リタイアしても、「腕時計」を捨てることはなかった。

最終的には「校長職」にまでなった元中学校教員の父にとって、「正確な時を刻む」という事は、「人生の基幹」であり、読んで字の如く、まさに「指針」なのだ。

数分でも狂った時計は許せない。

そこから発生する事態の混乱や、関係各位に多大なる迷惑をかける事を、父は教員という職業柄、常に警戒し、最大限に防がなければならなかった。

父にとって、「時間を守る」とは、「大事な生徒達を護る事」に、他ならなかったから。

だからなのか、”他者の時計”は、決して信用しない。常に、自分の腕の中にある(正確には、腕の上だがw)”自分の時計”(腕時計)しか、父は信用しない。

これは、父が若い頃から、そうである事を私は知っていた。そして、父がリタイアした後も、それは”変わっていない”と、確信していた。

「カレンダー(日付け)」にしてもそうだ。

教員時代、日付け入りのホワイトボードにビッシリと書かれた様々な”行事”によって、全てを把握し、管理していた習慣は、リタイア後も、容易には消せるものではなかった。

父にとって、「時間」と「日付け」を見失うことは、「人生の羅針盤」を失う事と同義。大変な不安や混乱を引き起こす起因となる。

「え?そんなことで?」と、思うかも知れないが、認知症を発症するきっかけになるのも、「時間」と「日付け」の消失である場合が多い。そこから、体内時計が狂いだし、昼夜が逆転し、意識の混乱が始まる。

”父の「時」を、護らなければ・・・。”

私が父を自宅に引き取り、在宅介護を決めた時、最初に手をつけたのが、この事案だった。

父が実家で使っていたカレンダーと、父が、可愛がっていた「置き時計」をウチへ持って来て、父の枕元へ設置。その他、家中に「電波掛け時計」を設置した。

案の定、父が我が家に来て、一番最初に言ったのは、「この家は、時計がいっぱいあるね。目に付く所に、ちゃんとある・・・。」そう言いながら、自分の腕時計と見比べて、「あ。ちゃんと合ってる! これなら、”安心”だ。」とw

でも、父が自分の腕時計を外す事は、風呂に入る以外はない。

「自分の時間」は、自分でキチンと管理していたいという、父の矜持なのだろう。私は、その矜持をなるだけ維持させたいと考えている。

自分がそれまで使っていたカレンダーが部屋にあったのも、とても喜んだ。

通院の予定や、ディの予定は、自分で丁寧にカレンダーに書き込んでいる。
新しいカレンダーは、必ず父と一緒に買いに行き、本人の気に入ったものを買ってくる。

それでも、朝な夕なに、「あ、あのさ、今日は何日だっけ?何曜日だっけ?」と、何度も聞かれることはある。

その度に、「今日は、○月○日、○曜日、時刻は○時○○分だよ。○時○○分になったら、○○の時間だよ。」と、面倒くさがらずに答えてやる。何度でも。

夜、寝る前には、「明日は、○月○日、ディの日だから、朝食は7時40分ね。」と声を掛ける。毎回。

この事は、パパ(主人)にも、共有していて、父から、「日付け」や「時刻」を聞かれたら、それが繰り返しの質問であっても、「面倒くさがらずに、ちゃんと答えてあげて欲しい。」と、お願いしてある。

パパもそれをよく承知していて、父からヒョイと聞かれた際にも、笑顔で答えている。私に聞いた時と同じ対応を快くとってくれるパパを、父は信頼していった ―――。


父が我が家に来てから2年が経ち、父は87歳になった。

対認知症対策として、特別なプログラムは受けていない。週2回、ディに通って、10分間バイクを漕いで、ちょいと筋トレをして、美味しい昼食を食べて、軽く昼寝して帰ってくる程度だ。

「抗認知症薬」も「睡眠薬」も「向精神薬」も、服用してはいない。

それでも、父は、「父の時」を、正確に刻んでいる。

それが父の何よりの「安心」となり、「自信」となり、「生きる意欲」を繋いでいる。

父の人生は、「時間」に支配されているのか・・・

いや、父の人生は、「時」に、”護られている”のだと思う。

だから、私も「父の時」を護りたい。
これもまた、”名もなき介護”なのだと思う。



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