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#170【育爺日記Eps.33】爺が散歩のルートを絶対に変えない理由。

MCI(要介護1)87歳の爺は、若い頃から「脳内GPS」の弱い人だった。生来、「方向感覚」を掴むのが苦手なのである。ドライブや車での旅行の際には、入念に地図を見て、下調べをしてからでないと、必ず、道に迷った。

これは、爺の人生の指針にも、かなり影響しており、万事において「道を外れる。」という事が、恐くて出来ない人だったし、中学教員という、「多感な生徒達を”正しい道”に導いてやらねばならない。」という、職業理念とも深くリンクしている。

”自分が道に迷ってはいけない。”

この人生の指針とも言える爺の信念は、MCIになっても、非常に強く脳裏に残っている。だがそれは、「短期記憶能力」が衰えてきた爺にとって、時として、突然、「自分が何処にいるのか、わからない。」という、不安や恐怖となって爺の心をさいなんでしまっていた・・・。

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爺は、「私の家が見える範囲内の町内を1周(約400m)してくるだけ。」という、私にしてみれば、変化のない”つまらない散歩のルート”を、絶対に変えない。

「折角だから、もっと冒険してくりゃいいのに~www」と、うながしても、「いいんだ。毎日、同じ道の方が、なんかあった時でも、俺の事、探しやすいだろ?」と笑う。

確かにそうではあるのだが、変化のある方が、リハビリには有効なのではないかと思っていた。

でも、そうじゃないんだな ―――。

爺は、毎日、同じ道を歩きながら、「Ilsaの家は、こっちだ。」と、第一コーナーを曲がると、家の方を振り返り、「うん。合っている🩷」と。

そしてまた、歩き出し、「今度は、あそこのコーナーを曲がると、llsaの家は、左手に見えるはずだ・・・。」と、記憶を手繰り、視線を上げて確認しては、「よし。合っている🩷」と。

爺にとっての難関は、第三コーナーから第四コーナーを抜けるまでの、約100m。他の家に阻まれて、私の家が見えなくなる箇所だ。

ここは、脳内の「短期記憶力」「長期記憶力」だけを頼りに、真っ直ぐ歩かなければならない。途中に数カ所ある路地に迷い込んではいけない・・・。

間違えずに、第四コーナーを左に曲がれば、前方斜め右手に、「Ilsaの家が見えるはずだ・・・。」そう”予想”して、第四コーナーを曲がった時に、「あった!!あそこが、”俺が帰る家”🩷」「俺は、今日も、道を迷わずに帰って来られたぞぉう!! ✨」

そうやって、爺は爺なりに、衰えていく「短期記憶能力」を、何度も手繰る訓練をしているのだ。毎日、朝に夕に。

両手にトレッキングポールを握りしめ、ゆっくりゆっくり、腓骨神経麻痺ひこつしんけいまひで上がらなくなってしまった右足のつま先を注視しながら、数メートル歩いては止まり、視線を上げて周囲の景色を確認し、また、ゆっくりと歩き出す、その背中を、私はいつも仕事場の窓から眺めている。

風の吹く日は、風の中の景色を、小雨の降る日には、小雨の中の景色を、花が咲けば花の中に見える”我が家”を、夏の強い日差し、秋の夕焼けの景色を、雪が降れば、雪の中の景色を・・・。

「周りがどんな様子になっても、この家に帰って来られる様に、景色をよく覚えておきたいんだ。忘れないように。思い出せる様に。」

「俺だって、ただボォーっと歩いて来るわけじゃぁないんだよw」

「そうだねwお勤め、ごくろうさまでござる。ささ、まずは、一杯。」

「うむ🩷」

今日も玄関のイスに腰掛けながら、
爺は「白湯」を、満足気にすすり上げた。

さすがは、”タイガー”だなw

ドラゴンは、ちょっと泣けるんだぜ・・・。

たかだか15分の散歩道でも、”自分の欠点”を補足しようと果敢に挑戦し、成し遂げてくるその気概に。


知識は武器。
介護とは、「今日の花」に水をあげることなんだな・・・と教えられる。


【育爺日記】マガジンにておまとめ中。


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