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あえてお蔵入りを前提とした公開しない記事を書く意味

誰も読まない記事を書く。
公開しない誰も読めない記事を書く。

そんなことに何の意味があるのだと思われるかもしれない。

意味はある。
そう断言できる。

だがその意味はすぐにはわからない。
その意味は時間が経ってからわかるのだ。

あえてお蔵入りさせる記事に何を書くのか?

誰にも見せないからこそ書ける文章というのも存在する。

公開せず人に見せない「お蔵入り記事」に書く内容として、個人的におすすめしたいものがある。

それは「未処理の感情」だ。

イラっとしたり、もやもやとしたり、ネガティブな感情だったり、昇華できずに悶々としている感情。

それは誰しも心のどこかにあるものだが、公に出すには、ややはばかられる気持ちや恥ずかしさが乗りやすいものだ。

だからといって、書かないのはもったいない。


どこにも書き留めなかったらどうなるのか?

いいアイディアを思いついた時にメモをせず、後で思い出そうとしたら思い出せなかったなんてことは誰しも何度も経験していることだろう。

人から言われて激しくショックを受けた言葉や
それに対する昇華しきれていない感情。

心動かされるようなモノや人との出会いで得たインスピレーションや憧憬。

それらを書き留めないのはRPGゲームのセーブポイントで、ここまでの冒険の記録をセーブしないのと似ている。

なんと!このまま休むと申すのか!


しかしセーブしておけば、また最初からやり直すのではなく、続きからスタートさせることができる。

書き留めた想いはその先の未来に進める可能性が生まれるが、書かなかったものの先には何もない。

だからこそ「未処理の感情」は敢えて公開しないお蔵入り記事として書き留めてセーブしておくことを強くオススメしたい。


書き留めたその先にあるもの

単なるアイディアならば逃しても、また次の別の似たようなアイディアが降りてくるかもしれない。

だが「未処理の感情」は同じところでぐるぐるとはしたくない点でアイディアとは違う。

処理しきれていない苦い感情を味わい悶々とする体験は何度も繰り返したくはない。仮に似たようなツライ事が起きても、今度は平気に思えるように乗り越えたいものだ。

未処理の感情を書き留めないことは、それを乗り越えたり、手放したり、その先に行く学びを気づく機会を失ってしまうことにつながる。


ではその先に進むにはどうしたらいいのか?

その答えが「書き留めること」だ。

嫌なことがあったり言われたりして、傷ついてしまったら、その時の感情を書き留めておく。

心動かされるような刺激的なモノや人や何かとの出会いがあって、インスパイアされたり、強い憧れを抱いたり、嫉妬したりしたら、その時の感情を書き留めておく。

書き留めたその時はまだ、その感情を処理しきれないかもしれない。

だが少し時間が経過してから書き留めた文章を読み返してみると、冷静な頭で客観的に過去を振り返ることができる。

そしてその時はじめて当時の未処理の感情を自分の中でスッとうまく処理できている自分に気づくことができる。

あのときはこう思ったけど、でも今は…と、自分なりに整理できて、あの時思ったことがあったから今があるなんてことにも気付いて、さらに一歩前に進むことができる。


お蔵入り記事と日記の違いは引き寄せる未来の質

単に感情を書き留めるのならば、日記でもいいと考える人もいるだろう。

だが日記を書いている人が全て思いのままに感情を処理できて、妄想や願望を望むままに引き寄せて実現しているわけではない。

それには理由がある。

公開しない「お蔵入り記事」を書くことは、確かに日記に近いものがある。

  • 決して人に見せない文章

  • 自分のためだけの文章

この2点では日記とお蔵入り記事は同じだ。

だが公開ボタン1つでいつでも他人に見せることができるnoteの下書き状態のお蔵入り記事は日記とは大きく違うものがある。

それは

  • 誰かが読むことも想定して書いた文章

だということだ。

想定読者の目線が入ることで、少し文章がまとう雰囲気とその先の未来が変わる。

誰を想定読者とするのかは自由。

特定の誰かなのか、自分のフォロワーなのか、未来の自分なのか、はたまた神様なのか、それは文章を書く人次第。

しかし読者を想定して書いた文章は、仮にそれがネガティブな感情に起因する文章だとしても単なる愚痴とは違った自分の想いや良いエネルギーが乗る。

一方で、愚痴を吐き出しただけの文章には、暗く重いエネルギーや読了後の嫌な後味がこびりつく。


その差は非常に大きい。


例えば、つらい大変な思いや体験をnoteや本などの形でまとめて発信した人は、その体験を乗り越え成長し、その未来が変わっているケースも多くある。

それは発せられた言葉に乗った前向きな想いやエネルギーに共感したり、同調したりする人やチャンスが引き寄せられてくるからだ。


だがその一方で、やや昭和や平成初期の匂いのする表現だが、仕事帰りに居酒屋で同僚に愚痴ってるだけの人の人生は何も変わらない。むしろ悪化していくことも多い。

それは発せられた言葉に乗った嫌な感じの波長に共鳴する、より重苦しく残念なことが引き寄せられ現実化していくからだ。


自分の秘めたる想いや考えを書き留めておくことは非常に意味がある。

だがその時に文章にどのような波動のエネルギーを乗せるかが大切なのだ。
それにより向かう未来の矛先が変わり、結果も変わってくる。


ある日突然、お蔵入り記事を公開したくなる日が来ることもある(かもしれない)

noteには「#熟成下書き」というお題タグがある。

それだけ下書きに書き溜めたまま、陽の目を見ることなく放置されている文章が多いのだろう。自分の記事一覧のページにも大量の熟成下書きが放置されている。


下書きの記事一覧を見ていると、ある日突然、この記事の続きを書こうかなとか、この記事少し修正して投稿してみようかなという気分になることがある。


実際、自分自身も1年の熟成期間を経て投稿した記事がある。

熟成下書きとして1年放置した後、少し修正を加えて整え、最後を書き足して公開ボタンを押せた。

当時なぜこの文章を書いたのかは思い出せないが、公開した今となって少し思うことがある。

それは「あの時の未処理の感情を今は処理できた実感がある」ということ。


当時、自分の趣味を聞かれるのが苦しかった。
無趣味な自分が嫌いだった。

だが約1年間自分のペースでnoteを書き続けてきたことで、未処理だった感情を処理できて一歩前に進めたのだ。

お蔵入り記事を公開記事に変えたいと感じることは、何かしら行動して自分の感情に向き合った結果、自分の中でどこか引っかかっていた未処理の感情を処理できた証拠なのだ。


自分のnoteの下書き一覧にはまだたくさんのお蔵入り記事が眠っている。

それらに潜む未処理の感情が美しく昇華して別の物になった時には、きっと公開できるだろう。そんな淡い期待と可能性を未来に残しておきたいのが、自分がお蔵入り記事を書き続ける理由なのかもしれない。


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峰村 佳(ねむ)
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