チョコレートグラミー

30代女性 既婚子供なし これからの人生、子供を望むか、夫婦二人の生活を送るか、はたまた1人の人間として新しい人生を歩むか。 日々の想いや悩みをポツポツ投稿します。

チョコレートグラミー

30代女性 既婚子供なし これからの人生、子供を望むか、夫婦二人の生活を送るか、はたまた1人の人間として新しい人生を歩むか。 日々の想いや悩みをポツポツ投稿します。

最近の記事

他人(ひと)の出産に、心から祝福を贈れたときに

これまでの30数年の人生の中で、家族や友人や同僚、自分の周囲の人たちの出産報告を、一体どれだけ受けてきたでしょう。 ここ最近は、「おめでとう」と祝福をしながら、心の奥底でいろいろな感情が波のように押し寄せ、何とも言えない気持ちで過ごすことが多くなっていました。 もちろん、最初からそうだったわけではありません。 20代前半の若いころは、心から祝福していたし、生まれたての赤ちゃんは素直にとてもかわいく思え、自分にはまだ想像できない世界の話をとても興味深く聞いたりしていました

    • 「手に入らない」ものだからこそ、欲しているのかもしれない

      自分が欲しいと望むもの。 例えば、片思いの人のこころ。 例えば、あの人に言って欲しい言葉 例えば、望んでも授かれない子供 例えば、どうしても助かって欲しい人の命 例えば、どう祈っても、想いが通じていても一緒になれない人 ほしくて欲しくてたまらなくて、心の底から欲しても、手に入らないと気づいた瞬間、執着というおもりが芽生えてしまえば、とたんに心を重たくし、とらわれてしまう。 ハイブランドのバッグやアクセサリー、憧れの車、数量限定のスニーカー、便利でおしゃれな家電、

      • 「自分らしく生きる」ことの呪縛

        本日も記事を見てくださり、ありがとうございます。 私の趣味は読書で、話題の小説や人気の自己啓発本など、店頭で目を引くものを手に取り、コーヒー片手に読み漁るのが、至福のひと時なのですが。 最近目にすることが多く、なんとなく自分の心にひっかかる文言があります。自己啓発系の本やライフスタイル本なんかの帯に、「頑張らずに生きる」「やりたいことだけをやって生きる」「自分の気持ちに正直に生きる」などの見出し文句があり、そして 「自分らしく生きよう」 というメッセージを、本当によく

        • 「産まない」という選択肢も、女性が自分で選ぶ人生の一つの道

          最近、出産をせず、子供をもたないという選択をした(しなくてはいけなかった)人生について、いくつか記事を投稿していく中で、思ったことを綴ります。 生物学上の女性としてこの世に生まれ、婚姻関係を結んでいたり、パートナー(生物学上の男性)と共に人生を歩んでいくと、ほとんどの人が「出産」というものに向き合うことになるのではないでしょうか。 出産をする、したい、しない、したくない、今はその選択をしないetc 様々な選択肢があると思いますが、「出産できる状況にありながら、出産を今も

          産まないからって、母性が無いわけじゃない

          将来的に、出産はしない(できない)かもしれない。そう周囲に打ち明けると、子供が嫌いなの?案ずるより産むが易しだよ、母性も父性も、子供と一緒に育つものだから大丈夫だよ、とアドバイスを受けることがあります。 そもそも、産まない=母性がない、子供が好きじゃないという解釈は、ちょっと違うんじゃないかなぁと思う時があります。 不妊治療に積極的に取り組んでいた時期は心から子供を望んでいたし、10歳になる姪っ子を、誕生した時から今この瞬間まで心から愛しています。 この感情を母性と言う

          産まないからって、母性が無いわけじゃない

          夫婦とはなんなのか。不倫や浮気は罪なのか。

          私たち夫婦は、仕事の休日が土日休みのため、いつも休みは重なっています。しかし、その休みを2人で一緒に過ごすのは月に3回程度くらいで、私たちを知る周囲の夫婦には、結構不思議がられることがあります。 趣味が別々だし、行きたい所もかぶらないのであれば各々が楽しみたいように過ごせばいいというスタンスなのですが、周囲の人々の『普通の夫婦』は休日が同じなら行動を共にする事が当たり前という感覚なのでしょう。 夫婦2人きりの生活なのに、友人の一人に、それって結婚してる意味ある?浮気とか疑

          夫婦とはなんなのか。不倫や浮気は罪なのか。

          産声なき出産について、流産の過去を思い出しながら考える時

          先日、南明奈さんのニュースをご覧になった方は多いのではないのでしょうか。 妊娠7ヶ月で、お腹のお子さんが空に旅立ったという一文を目にした時、全くもって彼女と関係のない自分も、心臓がぎゅっとなる感覚を覚えました。 流産や死産について、あまり知らない人が多いと思います。それは、その体験をされる人は一定数いると思いますが、表立ってその話をする機会がない、その話をする気になれない、誰にも言いたくない、ずっと昇華できずにいる、などの理由できっと話せずにいるのではないかと思っています

          産声なき出産について、流産の過去を思い出しながら考える時

          産まないと決めたのに、心が揺れるとき

          もう、自分は子供を望まない。産まない。子供をもたない人生を送る。 そう決めたとしても、心が揺らぐ時が、きっとどんな人にもあるでしょう。 長年の友人から、妊娠報告を受けた先日。 この手の報告はもう何十回と経験をし、どんなコメントで祝福すれば良いのかも、数をこなす事で分かっているのですが、先日は返す言葉に詰まってしまう自分がいました。 産まない、そう心が傾いていて、そんな自分が歩むこの先の人生を思い描いていた矢先、心にざわざわと居心地の悪い風が吹き付けました。 彼女は、

          産まないと決めたのに、心が揺れるとき

          「産まなかった」女性の生き方

          本日も見てくださり、ありがとうございます。 タイトルどおり、生物学上、女性としてこの世に生を受け、出産することを自ら望まない生き方について、もっと知りたいなと思うことが多々あります。 私自身は、高度不妊治療を経験し、現在はその治療を中断しております。出産する意志については人それぞれのものがあり、出産したい方、したくない方、できない方、そのどれかを否定するつもりはありませんし、どの選択をするのかは個人の自由というのが大前提にあります。 ただ、自分が自ら「出産を望まない」と

          「産まなかった」女性の生き方

          産む、産まない、産めない、産みたくない

          はじめましてこんには。 これからの人生の選択について悩む、30代半ば、会社員の主婦です。 この文章を書こうと思ったのは、ほかでもなく、私自身が今後の人生に子供を望むのか、子供のいない人生を望むのか、答えを出すべく、日々悶々と暮らしているからです。 私は、約5年間不妊治療を行い、今は一旦治療をやめています。 昨年からのコロナ禍をきっかけに、通院することにためらいがあり、ならば一旦やめよう、といった理由です。 そして、通院をやめてから約1年半がたち、その間に私の中での気

          産む、産まない、産めない、産みたくない