「手に入らない」ものだからこそ、欲しているのかもしれない



自分が欲しいと望むもの。

例えば、片思いの人のこころ。

例えば、あの人に言って欲しい言葉

例えば、望んでも授かれない子供

例えば、どうしても助かって欲しい人の命

例えば、どう祈っても、想いが通じていても一緒になれない人



ほしくて欲しくてたまらなくて、心の底から欲しても、手に入らないと気づいた瞬間、執着というおもりが芽生えてしまえば、とたんに心を重たくし、とらわれてしまう。




ハイブランドのバッグやアクセサリー、憧れの車、数量限定のスニーカー、便利でおしゃれな家電、、、、


それらは、中々手に入れられなくても、ある程度の経済力があれば、いつか手にすることができるという見通しがたつし、その見通しがたつことで、執着ではなくそのものを手に入れる事が目標となり、むしろ頑張る糧にもなったりする。


人はどうして、自分の力ではどうにもできないこと、どう努力してもどう願っても手にできないものに、こんなにもすがってしまうのでしょうか。


それは、自分がこの先の未来で手にすることがないと分かってしまうからなのでしょうか。


それとも、手にできないからこそ、自分自身の心の中で妄想や期待が膨らみ、必要以上に何か大きなものにしてしまっているからなのかもしれません。



自分の心の中からどうしても追い出せない、執着になってしまったこの想い。



無理に追い出そうとしたって、簡単には消えてくれない、むしろ追い出そうとすればするほど、心にしがみついてくるもの。



いつか、安心してこの想いを消化して手放すことができるように。



きっと、手放すことでしか見えない景色もあるんだろうと思います。


ジタバタともがくのも、人知れず涙する夜があるのも、ヒリヒリ心が痛んで余裕がなくなるのも、それも全部一生懸命に生きていこうとしているから。



だから、今日は、今の自分にひたすら、優しくしてあげたいと思います。




誰に何を言われても、理解してくれる人がいなくても、どうしていいか分からなくても、わたし自身に1番に優しくしてあげられるのは、やっぱり自分だけなんだってことなんじゃないかなぁ。




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