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理由
無気力に陥る事の原因を探るほど、無駄な事はない。
無気力であるのにその原因を知る事に、気力を燃やす事などそれこそ、本末転倒である。
むしろ考えてみたら、無気力な自分の方が本来の自分に近しい気がしてならない。気力を振り絞って生きてきたからこそ、なんだかそんな風にすら感じている。
書き出したという事は、活力が戻ったのかと言えばそれも少し違う。書く事が自然になればそれでいいと感じるだけの話で、その方が良い方向に行く気もする。
個人としての発信をセーブする事で、『全体主義』こそ正義として思想してきたけど、やはり『全体』は『個人』の集合体であるので、どちらがどうというわけでもなく、足りていないところは常々に空虚に感じる。
まぁ書こうと思う。
もはや間隔が開きすぎて、誰にも期待されていないと感じているからこそ、書こうと思う。
鬱とか精神疾患の類ではなく、無気力。
無気力の中で、全体の生産性だけは不思議と向上出来たので、また自分の中の『個人の揺らぎ』が増大したけれど。
まぁ書こう。
『無気力に陥った理由というよりも、もともと気力がない人間が活力を得られなくなった理由』として最も考えられることは。
人と話さなくなったこと。
(かなり近しい間柄の方以外と)
結局のところ人の活力は、
他者から受け取るエネルギーの連動であるので、
恒星のように自家発電出来ない人間は、
良くも悪くも他者からのエネルギーを得たり奪われたりする事で、動力に変えるということがあるらしい。
少なくとも僕はそうであり、昨今の情勢は、
本来的な自分の姿を良くも悪くも炙り出しているのだと思う。
そんな人も多いでしょう。
少なくともあなたは1人ではないし。
あなたの価値はとても重要で多大である事をお伝えしておきたい。
今日はこんなところで。