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ヒロシマは晴れているか

                 

この作品を発想した当時、まだ私はこの題材を、一つの作品として仕上げるだけの技術を持ち合わせていなかった。シナリオ用のプロットとして形になったのは、某シナリオ教室で、鶴田浩二主演『雲ながるる果てに』、市川雷蔵主演『忍びの者』『ひとり狼』、鶴田浩二、高倉健主演『人生劇場・飛車角』、勝新太郎主演『座頭市』等を書き、“大プロ”と呼ばれていたシナリオライター、直居欽哉氏に教えを請(こ)うていた時である。
このプロットを見せた頃、トム・クルーズ主演の日米合作映画(『ラスト サムライ』ではなく戦争映画)が進行中だった直居氏は、「よくできたプロットです。これをハリウッドに持ち込んで映画化したら、世界的センセーショナルを巻き起こすんじゃないかな」と言われた。
その後、シナリオ化し制作会社に持ち込むと、「面白いから、ちょっと預からせてくれる」とのこと。しかし、企画が通らなかったのか、この作品が日の目を見ることはなかった。
どうせやるなら超一流の映画監督にと考え、黒澤プロダクションに電話をしてみたが、「黒澤は自分の書いた物しかやりません──」と、事務所の女性に一蹴(いっしゅう)されてしまった。
しかし、それからしばらくして、当の黒澤明監督から直筆(じきひつ)の手紙が届いた。その思いやりに、黒澤明氏が何故、“世界のクロサワ”に成り得たか、垣間見たような気がした。
「こんなの書いてたら赤だと思われるぞ。この業界で生きていくのなら、もっと大人にならなきゃ」と、忠告してくれた映画人もいた。
「今時、赤だ白だと騒いでるのは、NHKの紅白歌合戦ぐらいだよ」と、その排他性に内心呆(あき)れ返っていた。
それから数年後、私の書いた映画界を題材にした小説が、コンクールで1,300本中の50本か10本(最終候補)の中に入り、その作品に目を止め、業界で最初に声をかけてくれた、大手広告代理店の元副社長がいた。その人に『ヒロシマは晴れているか』のシナリオを見せたところ、「この本、面白かったよ」と言われたので、「映画のプロデューサーに見せたら、日本では大道具的に製作不可能。ハリウッドで超大作級の製作費をかけないとだめだと言われたのですが----」と言うと、この作品が大いに気に入ったらしく、知っているハリウッドのエージェントに見せてくれました。この小説は、そのエージェントも読んで面白いと言ってくれたシナリオの原作小説です。
その後、映画『007』のプロデューサーが来日した時に企画書を見せると、「涙腺を刺激された。これを映画化すれば、映画史上に残る傑作になるだろう。英語版の小説にして出版すれば、ハリウッドでの映画化の可能性が高まるよ」とアドバイスを受け、英語版もAmazonで出版しました。
さすが、映画ビジネスの本場ハリウッドのプロデューサーは、アドバイスが的確で具体的だと感心しました。

   

                  

 


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