竹千代、毒を盛られる
竹千代、とは、わたしの娘・1歳のことだ。「江戸時代にいそうな、武士の子どもみたいな髪型だから」と、夫がつけた「あだ名」である。
この子が竹千代なら、さしずめ、わたしは「春日局」いや、「さざ波の局」と、いったところか。
あれ?
でも、それだったら乳母になっちゃうな。
しかし「春日局」は、「竹千代」すなわち、のちの3代将軍・徳川家光に、実の母親以上の愛情を注いだそうだから「さざ波の局」で良しとしよう。
同居の義母が、娘のために「おくらペースト」を作ってくれた。
新鮮、かつ無農薬の県産おくらを茹で、頭と尻尾を切り、ミキサーですりつぶすと、それはもう粘り気のある、青々とした塊ができあがる。
これが、おくら好きのわたしには、たまらない。
こんなにトロッとしているのに、より強くなったネバネバのなかにある、シャキシャキした歯ごたえ。いちど口にすると、箸がとまらない。
そのまま食べると少々青くさいが、これは、麺つゆで消せる。
冷奴にのせても美味、卵焼きに入れても美味。
義母いわく、みそ汁に入れてもいけるらしい。
こうして、娘の離乳食は「オトナのおつまみ」に、姿を変えていったが、当初は、娘だって、出せばしっかり食べていた。
下の写真が、先日の昼食である。
皿の右隅にある苔みたいなのが、それだ。いつからだろう。娘が、口にしなくなったのは。白飯にかかっているのは、義父お手製のシラス入り鮭フレークである。
さて、娘あらため竹千代さまは、おくらペーストを一瞥したとたん、真正面に座るわたしの前に仁王立ちでふんぞりかえり、
「そなたが食するがよい」
そう言わんばかりに、わたしの顔を指さした。
おくら大好き「さざ波の局」としては、この絶品おくらペースト、竹千代さまに、ぜひに、召し上がっていただきたい。そんな切なる思いがあった。
春日局よろしく「さざ波の局」などと名乗っているが、乳母ではなく実の母親である。
竹千代さまは、仁王立ちのまま、ちいさな両手を胸のまえで申し訳ていどに合わせ、「いただきます」もそこそこに、食事をお始めになった。
木でできた子供用のさじで、青々としたアレをすくい、お顔の前に持っていってみても、首を横にふり、そのちいさきお口を真一文字に結んだまま、決して開けようとしない。
さっきの、シラス鮭フレークのかかった白飯のときとは、えらい違いだ。あのときは、
「おぉ! これよこれよ!」
(訳)「まんま!」
と喜びの声を上げ、鳥のひなのように、大きくお口を開けていらっしゃったではないか。
応接間の真ん中で、立ったまま食事をしていらっしゃる竹千代さま。そのうち、いつものように「遊び食べ」をお始めになった。白飯のシラス鮭フレークがけを、ひと口ほおばるやいなや、台所に向かって駆けていらっしゃる。
さざ波の局は、ひらめいた。
おくらペーストを少量、さじですくうと、それを覆い隠すように、上から白飯を被せた。見た目は、いつもの白飯。あの緑は、どこにもない。
よし、これならいける!
確信を持って、戻ってきた竹千代さまのお口に、さじを運んだ。疑う素振りも見せず、ヒナの口で白飯にパクつく竹千代さま。
そのとたん。
かわいらしいお顔の眉間に、シワが刻まれた。そして、お目々とお口が、その愛らしいだんご鼻に、ギュッと寄っていった。
これぞ、苦虫を噛みつぶしたような顔。
納得する「さざ波の局」に、竹千代さまは厳しいまなざしを、お向けになった。
「なんだこれは! 毒を盛ったのか、この悪党め!」
(訳)「めーえー!」
「ひえぇぇぇ、めっそうもございません」
(訳)「あっ娘ちゃん、おいしくなかったね」
おろおろしてみせる「さざ波の局」を尻目に、竹千代さまは、お口の中の、白飯に混ぜられたネバネバ緑を、ベーッと吐き出した。
「申し訳ございませぬ、二度とこのようなマネは、いたしませぬゆえ、どうかお許しをぉぉ」
(訳)「娘ちゃんごめんね、もうしないよ」
恐れおののくふりで、床にこぼれたそれを、ちり紙で拭き取る「さざ波の局」
竹千代さまは、その姿をじっと見ていらっしゃるだけだった。
皿の上の白飯を平らげた竹千代さま。すぐさま、カラの皿を手に台所へ。そして、おひつをお指しになった。
「おかわりを持て」
(訳)「うー、うー!」
かくして、皿の上には、ふたたび白飯が載ることになった。もちろん、シラス鮭フレークも、ちゃんとかけた。
竹千代さまは、さっきと変わらぬ速度で、せっせと白飯をお食べになっている。そして、「さざ波の局」が持っている、さじを取り上げた。
「そのさじ、拙者によこせ」
(訳)「あー!」
竹千代さまは、白飯を、ゆかの上にボロボロこぼしながら、お食べになっていた。
「竹千代さま、お座りになられたほうが……」
(訳)「娘ちゃん、おすわり、ぽーん!」
「えぇい、黙れぃ!」
(訳)「ぃやー!」(首をぶんぶん横に振る)
そして、さじを床に放りなげ、台所に走っていらっしゃった。そのとき、竹千代さまの気配が消えた。
以下、「さざ波の局」こころの声。
竹千代さま、朝からこんなにお食べになってよろしいのでしょうか。さざ波、心配でございます。
(訳)娘ちゃん、今日ご飯ちょっと多いよな。
朝からバナナにせんべい、雑炊食べてスタバでパンも食べてるし……。
大丈夫かな、こんなに食べて。
瞬間、「さざ波の局」は、ゆかに落ちたさじを濡れたちり紙で拭き、それで白飯をすくうやいなや、ぱくっと口に入れた。
あら、おいしい。もうひと口。
ふたたび、白飯をほおばった、その瞬間。
不穏な視線を感じ、振りむいた。
なにやつ!
まさか……
お江が差し向けた刺客か!
「そなた、なにをしておる」
(訳)「めぇめぇめぇー!」
(首を横に振り、じだんだを踏む)
視線の主は、竹千代さま本人であった。
おむつ用のごみ箱と柵の間から、盗み食いをする「さざ波の局」を、一部始終、ご覧になっていたのだ。
竹千代さまは、罪人を捕らえにきた役人のように、タタタタッと、こちらへ、おいでになった。
「申し訳ございませぬ、竹千代さま! 波は、竹千代さまの身に危険なきよう、毒見をいたしておりましたぁぁ!」
(訳)「娘ちゃんごめんよ。ちょっと、出来ごころで……。おいしかったから、つい」
竹千代さまは、いっそう厳しい視線を、「さざ波の局」に向けた。
「二度と……、二度と致しませぬ! どうかお許しをぉぉ!」
(訳)「もうしないよ、娘ちゃん。ごめんね」
竹千代さまは、ふたたび「遊び食べ」をお始めになったが、ことあるごとに、あの場所から「さざ波の局」を覗くようになった。
「そなた、なにも悪さはしておらぬだろうな」
(訳)「えへぇーっ」
(ぜんぶお見通し、と言いたげにニヤァッと笑う)
「ひぃぃ! めっそうもございません竹千代さま! さざ波の局、家康公に誓って、潔白でございます」
(訳) 「大丈夫だよ娘ちゃん。
おかあさんを信じておくれ」
みくちほど白飯をいただき、竹千代さまは、ようやく「さざ波の局」にたいする警戒を解いた。
「おい、おい、波! 拙者はここじゃ」
(訳)「ばぁー!」(余は満足じゃ、の笑み)
あとは自らあの場所にお隠れになり、「いないいないばぁ!」を「さざ波の局」にせがんで、ともに遊んだ。
「竹千代さま。この場所、お気に召しましたか」
(訳)「ばぁー!」
(抱腹絶倒の母)
竹千代さま、いや娘よ。
将軍にならずとも、いつの日か、一緒に楽しく、おくらを食べてくれるかい?