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外山滋比古「思考の整理学」

私はもしかして、これまで、ただただ目の前に現れた問題に悩んできただけで、ちゃんと考えてきたのだろうか、という気になってしまいました。

この本が最初に刊行されたのは、1983年。
今でこそ、仕事がAIにとって代わられるかも、という話が本格的に出てきていますが、この本の中でもコンピュータの出現によって、知識があることが良しとされた時代から変わっていく、という話が出てきます。
コンピュータとAIに違いがあるとはいえ、その部分を読み替えて読むと、とても新鮮に感じられました。

最初に出てくるのは、グライダーと飛行機型人間の話です。
学校では知識を分かりやすく教えられる。そこで秩序を乱すような疑問を投げかけてはいけないし、はみ出さない人間、ひっぱられてどこまでも従順についていく人間ばかりが求められ、作られていく、という話です。

この辺りは、今の学校は少し変わってきているのかな、と考えたりもしますが、社会に出てみると、グライダーが多数を占める組織の中にいると、グライダーが求められ、ちょっとでも飛行機的な動きをすると反発を買うということが分かります。「出過ぎた杭は打たれない」というくらいに、思いっきり強いエンジンがあれば別なのかもしれませんが。

そこから学ぶとはどういうことか、情報を集めてどう整理するか、どう忘れるか、思いついたことをどんな風にノートにとるか、どう発酵させるか、考えたことをどのタイミングで話すか、どう書いていくか。

ざっくり言ってしまうと、発散と収束、具体と抽象、合成と純化といったことの繰り返して、思考が洗練されていくということなのかな、と理解しました。

以前読んだ苅谷剛彦「知的複眼思考法——誰でも持っている想像力のスイッチ」の読書日記をFacebookでシェアしたところ、お二人の方からおススメされました。

間違いない本だな、と感じたので、Kindle購入しました。
Kindleの中の本は、私にとって「死ぬまで一緒にいたい本」です。
ところどころをハイライトしながら読み進めたのですが、さすがにこの本を書かれた時には、Kindleでの読み方などイメージされていなかっただろうなと考えたりしました。

それなりに、考えながら生きてきたつもりです。でもこの本を読みながら、なんというか、いつも、すぐにそのど真ん中に入っていってしまう感じがしました。少し離れたところから全体を見渡して、冷静に考えるのが苦手というか、難しいのだろうなと感じます。
一方で、過去に、自分なりにしっかりと考えて、結論を出した時は、少し客観的な視点を持ちながら、発散と収束、具体と抽象、合成と純化みたいなことをやってきたような気がします。
そういうときは、周りからも理解されやすくなっていたような気がします。

でもなかなかそういう考え方は難しく、どっぷりと深みにはまりながら感覚的になってしまう。これは、悩む、であって、考える、ではなかったんだ、ということに気付きました。

ちょっとだけ思うのは、ただ従順なのではなくて、悩むグライダーなんです。エンジンの力が小さすぎてあまりできないけれど、自分の選んだ方向に飛びたい気持ちはあります。

自分がどんな方向にひかれたのか、気を付けて観察をしながら、考える、ということに取り組んでみたいと思いました。



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