最近の記事

器用貧乏さんの「待つ」こと

「その程度でできるって言っていいの?」ていうことがあったら、自分の物事へのコミット具合の再認識をするタイミング。めちゃくちゃやってるのに、自分ではそうでもないと思ってる。   こういうとき、相手のマネをしたらいいと言われるけど、(「私はできるんです」と言うとか)、それよりも、めちゃくちゃやってることをきちんと自分が理解することの方が私は大事だと思う。  なんで「もっとやらないと」と思ってるのか深掘りする前に、とにかく、私はめちゃくちゃやってるんだなぁー(すごいな自分!)、

    • 「うまくいかない」を選ぶ理由

       願いは叶う、心に想ったことは現実化する、というのは明らかな法則。  にも関わらずそれができない、体験できないのは、その法則を信じていないから。  例えば、子どもの時に親が厳しくて自分の思いを聞き入れてもらえなかったとか、そいうのを積み重ねてきた人って「信じることが難しい」ってありがちですよね。理想を思い描くとか、どうしたいか自分で決めるとかが苦手な人とか。  それ以外にも、過去生からの繋がりで今世でその過ちを清算したり、追体験することで何かを克服することへのチャレンジと

      • 本当のことを見ていく

        昨日のブログに、自分の魂の担当(つまり使命)に気づくのが難しい、というようなご感想をいただきました。  (感想いただくのって嬉しいですね、ありがとうございます。) そう、それが社会の大多数なのだろうし、だからこそ自分の魂と一致しないことから生じる不平不満や葛藤が、争いや病という形として現れている世界を見てそこに生きている。  コースでは、『見聞きしていることはすべて自分に責任がある』ということを繰り返し思い出しなさい、と言っていて、それはつまり、『わたしは本当のことを見て

        • 自分の『担当』

           もし、自分が事務的な処理をする立場であるとき、現場の人から入力のやり方を必要以上に口出しされたら嫌ですよね。  逆に、自分が現場の人であるとき、事務担当にもっとこうやればいいのにとか言われるのも嫌ですよね。  だから、そもそもの自分の専門とするところ、担当とするところへの認識や自覚がないと、本来の能力も発揮できない上のそのややこしさが起きて、だからとても苦しくなる。  できる人、見える人、わかる人は、そうでない人に「もっとこうすればよくなるのに」とつい思いがちだけれど、当

          虫と判断と不平等

          先週末、家族でお出かけしたときに 入った昆虫館で カブトムシやカメムシの展示が並んでいる中 ゴ○ブリもいた。 私が最も嫌いな虫さん、、。 でも、家でたま〜に誰かが目撃するたびに (私はほぼ出くわさない(笑) いつも思ってたしこのときも思ったのね。 同じ昆虫なのに こんなにも悪者扱いされて嫌われる。 彼らは蚊のように血を吸うわけでもなく カラスや他の獣のように 人が出したゴミに餌を求めているだけなのに。 汚いって言うけれど そんなんゴキに限らない。 これが、

          虫と判断と不平等

          好きなものを好きでい続けられること

          今朝、テレビで見かけた スピードスケートの 小平奈緒さんのインタビューが とても素晴らしかった。 数多くのメディアでお見かけする アスリートの中でも いつも冷静で、静かで その中に 思いやりとか温かさが感じられる 選手だなぁという印象だったけれど、 「大好きなスケートを滑っているありのままが、 すべて表現できた」 と、目を潤ませながら答える姿に ぐっとくるものがありました。 『表現できる』 という、生命の喜び。 ご自分の後のレースに配慮して ご自分への歓声

          好きなものを好きでい続けられること

          ふんわり見ること

          ぼんやり見る ふんわり見る ということを 日々の中で取り入れるようになってから 意識を向ける エネルギーを使う そのさじ加減が スムーズになってきた。 ものの見方、受け取りかたもだし 物理的に メガネやコンタクトを使っている人は 裸眼で過ごしてみる!! 小さな子どもがいると特に 注意力が求められるけれども、 落ち着いているとき 寝ているとき 園にいるとき 誰かに預けているとき そんなときにはできるよね。 (危なくない程度に(笑)) 感受

          ふんわり見ること

          秋晴れと長男のメガネ

          諸用あって ご近所をゆっくり歩いてみました。 買い物があるからと 車を使いがちですが 諸用のおかげで 秋晴れの清々しさを 感じさせてもらいました。 日々のアレコレがあったとしても 秋晴れの青空が 私の心の中にあるから それを映し出して 見ることができている。 長男(小4)がついに 視力が下がり メガネを作ることになりました。 私も夫も近視。 私は幼稚園の頃にはもう0.4とかで 私の母は私より悪い。 それでも長男は1年くらい前までは ずっと1.5は見えてい

          秋晴れと長男のメガネ

          単調さを感じる裏にあるもの

          朝、起きたときに 「また、同じ一日が始まる」 という思いにかられたら 素敵なことを見落としている。 そして、 自分の言動の粗雑さも。 良きことも そうでないことも やりきる 感じきる。

          単調さを感じる裏にあるもの

          過去への感謝day

          今日は思いつきで 過去の自分への感謝day。 子どもたちの 自分への正直さを日々 見させてもらっていると 私は本当にだいぶ無理めに 頑張り続けていたんだなぁと (特に幼少期) 当たり前という麻痺って強力だな てことをしみじみと感じてる。 だから、 自由な人を見て 怒っている人を見ると あーあーあー、って思ってしまう(笑) (頑張りやさんなのだよね) 誰でもいつでもそちらへ 移行できるのにね。 そして、 口うるさい親を 選んで生まれた人で 反発ではなく 受

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          『自分は違う』というトラップ

          昨日の朝、 家族が見ていたがっちりマンデーで 売上げを18倍増やした社長さんの話の中で 常識ならありえないことをやってみた 自分が素人だったからできたこと ていうことを話されていた。 願望の具現化ができている人の この力強い言葉がこうやってお茶の間で サラリと聞けるなんてすばらしい番組だと思うし なんかもうビジネスのお勉強の域だなぁ とも感じる。 でも、大半の人は 「この人だからできることだよね。 フツーはこうはいかないよね だってお金を稼ぐことは大変なことだ

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          幼稚園児のドラマ

          次男(6)の幼稚園でのできごと。 次男がおともだちの体操服を 隠したということがあったんだそう。 先生から電話で話を聞いて 本人に確認してみたら いつもの仲良しグループ内でのことらしい。 次男の単独ではなかったらしいけれど 何となく、その光景が目に浮かぶ。 先生は自分が隠したのだと正直に言ってくれた という話をしてくださって いつもそんなありがたい対応でしかないのだけれど、 なぜ隠したのかは分からなかったので 本人に直接聞いてみた。 次男は家でも 自分の都合の悪い

          幼稚園児のドラマ

          踏み台という抵抗と成長

          ヒトは生まれてから 首がすわる 寝返りをうつ はいはいをする おすわりをする というように成長して 親という役割を担っている者は その成長を一つ一つ喜ぶもの。 わが家で言えば 三男(3)がパジャマのボタンを 一生懸命自分で留めようとする姿など 私の心が乱れていない状態でさえいれば そんな些細な日常の一コマも 喜びに満ちあふれた瞬間。 だけど、自分が大人になって 何か問題に直面したとき 表面上のことではない その内側をめくって見つめてみてみれば 自分の中にある

          踏み台という抵抗と成長

          おひつじ座満月で感じたこと

          天体のエネルギーって あまり分からないままだったけれど 昨日のおひつじ座満月は 初めてその影響力を感じていました。 しかもネガティブな方に。 友人からほんとに素敵なラインをいただいていたのに 「あぁ、ネガティブを浮き彫りにされてるなぁ・・」 と感じるがままで ひたすらに訂正するお祈りをしていました。 ネガティブとは幻想で 自分を傷つけている自分がつくり出した思いに 気づいて訂正していく、の繰り返し。 自我は 「なんでこんなことが起こるんだろう」 「この人のこうい

          おひつじ座満月で感じたこと

          『嫌』に隠れている可能性

          次男(6)は時々、 園の担任の先生が嫌だと言うことがある。 なんで嫌なのかを聞いてみたら、 自分がやりたいことをやらせてもらえなくて やりたくないことをさせられる、のだそうで。 家でもそうだけれど 次男は自分にとって不快なことから スルリと離れていく。 さらに聞いてみると、やっぱり やりたいことはもう既にできること やりたくないことは苦手なこと。 そうだよねぇ。 少し難しいことに取り組むタイムが 設けられているので 「できることはそれでいいから ちょっと難しいこ

          『嫌』に隠れている可能性

          学ばなくても自分と繋がれる人

          最近、夫の仕事がより多忙になり 寝落ちして朝、お風呂に入る ということが続いている。 夜の8時や9時に帰って 子どもたちと適度にふれあいつつ 好きなテレビを見ながら夕食を食べて 私が次男(6)・三男(3)を寝かしつけに 寝室へ入ってから 長男(9)とのお楽しみ時間(Switch)も (お楽しむのはほぼ長男) 10時くらいまで付き合っている、 ていう流れ。 10時に長男が寝てからが夫の1人時間なので ついお風呂が後回しになって そのまま寝落ちしてしまうというパターン。

          学ばなくても自分と繋がれる人