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本当のことを見ていく

昨日のブログに、自分の魂の担当(つまり使命)に気づくのが難しい、というようなご感想をいただきました。
 (感想いただくのって嬉しいですね、ありがとうございます。)

そう、それが社会の大多数なのだろうし、だからこそ自分の魂と一致しないことから生じる不平不満や葛藤が、争いや病という形として現れている世界を見てそこに生きている。

 コースでは、『見聞きしていることはすべて自分に責任がある』ということを繰り返し思い出しなさい、と言っていて、それはつまり、『わたしは本当のことを見てないし、聞いてもいない』ということを認める、ということなんですよね。

 まだ書くつもりはなかったけれど、今、1年ぶりにいっぺん死んでみるワークショップをリニューアルして再開する準備をしているんですが、それは、私がこのことを理解して日常生活で実践していく中で、真に伝えていきたいことだと気づいたからなんです。とても大切なことだから。

 なぜ争いや病が存在するのか?という問いではなく、なぜ争いや病が存在する世界を自分は見ているのか?という問いの意味ですよ。

 私は毎日読んでいるコースのガイドブックでこのフレーズを見たとき、心の奥底に突き刺さりました。いくら心理を学んでいても、心が自分が見る世界を創造してるという投影を学んだつもりでも、自我(争いや病を見ている自分)というのは本当にしぶといものなので、だからこその365日のコースのレッスンでもあって。

 もちろん、コースを知らなくてもスピリットを生きている人はたくさんいますし、その人たちはコースを素で生きておられたり今世では出会わないのだろうし、でも、私は出会ってかなりすんなりコースの道へ入ったので、ここを生きるのだと確信しています。
 自我の自分に気づいて真実を目撃する目で見ることができれば、病とか死というものに対しても、ガラリと捉え方が変わるんですよね。

 『本当のことを見てないし聞いてもない』私が見てきた兄の看取りも用いて、本当のことを見聞きして手を取り合いながら生きていく、という輪の拡大をしていきたいです。

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