江戸川乱歩が描きたいヒロインとは?/『孤島の鬼』を読んでいて思うこと
『孤島の鬼』の隙間感想
『孤島の鬼』は江戸川乱歩の怪奇趣味と、男色趣味が強く出た作品ですが、極めて高い人気を誇ります。
Amazonで書影を見るだけでも、各世代のタッチで美青年の耽美な世界が描かれています。
語り手の簑浦金之助は、紅顔の美少年のような容貌。
その箕浦に学生時代から恋心を抱いているのが諸戸道雄。
ノーブルな美青年と表現されています。
ただ、諸戸が箕浦の(容貌以外の)何にそこまで惚れ込んでいるのか、いまいち伝わってこないというのが正直なところ。
箕浦は諸戸が寄せてくれる好意を自覚しており、“あざとく”利用するような振る舞いもするので、どうしても諸戸に同情してしまいます。
ストーリー終盤、生死のかかった極限状況の中、諸戸は猛烈な告白をしますが、箕浦は…。
恋し甲斐のない男だな…と読者である私は感じてしまうのですが、乱歩は“箕浦の諸戸に対する気持ち”にはあまり興味がないのかなとも思います。
乱歩が描き出したいのは“同性への恋心に身を焦がして苦悩する高貴な美青年の葛藤”であって、箕浦は舞台装置としてのヒロイン(ヒーロー?)に過ぎないのかもしれません。
明智の妻・文代さん
あくまで私個人の感覚ですが、乱歩の作品を読んでいると、「作者自身が大きな興味を感じていない」と思われる対象に関する描写が淡泊だと感じることがあります。
『蜘蛛男』ではヒロインたちが出ては殺されていきましたが、仮にも主人公が好意を寄せた相手を、ここまであっさりと退場させてよいのかと驚いた記憶があります。
▼『蜘蛛男』の感想はこちら
「描きたい」相手が作中でもヒロインに相当する場合、物語としてちょうどいいバランスになるように思います。
例えば、『陰獣』の小山田静子のように。
(作品としては、壮絶な展開になりますが…)
特に気になるのが、明智小五郎の妻・文代さん。
探偵としての素質は高いとのことでしたが、シリーズ中盤以降は「病気療養のため、高原の施設に行っている」という設定になり、姿を見せなくなります。
作中、特別文代さんの体調を気づかう描写があるわけでもなく、“いない理由”だけが説明される不自然な状況。
明智の家庭生活を描くことは、作品の主眼ではないからでしょうか。
逆に小林少年と明智小五郎2人の世界を描きたいからだとすれば、なかなか思い切っているとも言えるかもしれませんが…。