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心をつかう

めずらしく、どこも痛くなく、だるくなく、身体が軽かった。ATMと郵便局、二度も外出した。
手紙を書いたから出しに行こう、とか、この用事があるから先に済まそうとか、思った通りのことができるのが久しぶりだった。
ずっと体力の残量を考えて、これはできる、これはできない、と選ぶのに慣れた。ほとんどのことは今日はできない、しないに分類される。
だれもが老いて、細り、弱り、できていたことができなくなるものなんだなあ。こうやって。

食欲があり、食べられる日だから、なるべく食べようと思い、木綿どうふ、干ししいたけ、にんじんがあったので、卵とねぎを買って、いり豆腐を作った。何年ぶりだろう。子どもが小さいときよく作ったメニューだ。昨日は、かぶやかぼちゃを入れてシチューを作って食べた。
後遺症になって、お惣菜を買うことが増えたが、たいてい自分の食べたい味ではなくがっかりする。料理をする体力がないのだから仕方ない。

ほとんど一人暮らしみたいになると、あれだけ料理をしていたのは食べてくれる人がいたから、一生懸命作っていたんだと思う。買ってきたものもあったけど、出来合いのおかずは手をつけない子だったので、なるべく手作りしていた。
旬の果物でジャムを作ったり、おやつもクッキーやグレープフルーツゼリー(よく固まらなくて失敗していたけど)、マーマレードなんか夏みかんの皮をアク抜きするのに3回くらい煮て、よく作ったなあと思う。お金もなかったし、子どもの友だちが来たら白玉だんごやフルーツ缶詰めでフルーツ白玉とか食べさせた。

バターと砂糖、シナモンを詰めて焼いた熱々の焼きりんごには、つくり立てのホイップクリームをたっぷり添えて。かぼちゃのスープは、ミキサーがなかったから、粉ふるいと木べらを使い、うらごししてなめらかに。栗の渋皮煮は、筋を取るのに爪のまわりを黒くしてなかなか落ちなかったり、今でもよく覚えてるのは、子どもと公園で遊んでいたらイチョウの木から黄色い実が、ぽてっぽてっと落ちてきたので、拾ってビニール袋に入れて持ち帰り、向かいのおばあちゃんが教えてくれたやり方、ビニール袋の上から靴で実を踏んで、洗って銀杏を取り出したけど、くさいのなんのって、あれ一回きり笑。(おばあちゃんのアドバイス通り、屋外でやりました)

あたりまえだけど、どんなに高いジャムを買ってもあのときの手づくりと同じ味のジャムはないし、スーパーのどこにも絶妙な薄味のおかずはない。家庭料理は、手間はかかるが心が満たされる。
今思えば、お金がなかったことで、工夫して、心を使うことができた。 
それこそがきっと、森のイスキアの初女さんが伝えたかったことなんだろう。
仕事でいろんな家庭に行ったけれど、お金があって物や服が山ほどあっても、いるだけでとても淋しい気持ちになる家がある。子どもはお金をもっとと親にせびるが、ほんとうに欲しいものはお金じゃない。


息子が大きくなってから、ギョーザが嫌いだと言ってきてびっくりしたが、たまに作れば手づくりギョーザはやはりおいしい。春巻きも。作ればパクパク食べている。外食して何食べたの?と聞くと「ギョーザ」と言い、お母さんもコンビニでギョーザを買って食べたと言うとき、食べたくなるもの、欲するものが一致していることがあり、同じ食べものでできているからか、おもしろい。

80代後半の母がケンタッキーを食べたいと言ってると聞くと、すごいと思う。あんなにしょっぱくて油っこいものを。同じく80代後半でガンも見つかった父が、明日は社交ダンスだ、女性より男性が少ないから大変なんだと言っているということは、今、あの人たちのほうがはるかに元気なわけで、まず自分が身体を治さないとと思うのだった。
少しでも料理をして、食べて、元気になりたい。


〜最後まで読んでくださり、ありがとうございます♪〜

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ROMA
現在、コロナ後遺症療養中のため無職です。いつでもご寄付を受け付けております。 あなたのサポートに感謝✨✨✨✨