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女たちがいなくなった日
NHK「ドキュランドへようこそ」で、『女たちがいなくなった日ー男女平等先進国アイスランドの原点』という番組を放映していました。(今ならNHKプラスでご覧になれます)
アイスランドはジェンダーギャップ指数14年連続第1位の国です。(2023年、日本は146ヵ国中125位…)
けれども、昔から男女平等の国だったわけではありませんでした。
少なくとも1970年代、アイスランドの状況は、日本とそんなに変わりはなかったようです。
産業構造の変化から、男性はサラリーマンとして外で働き、女性は専業主婦という家庭が増加。
その頃のアイスランドの専業主婦は、「妻は夫よりも早く起き、夫と子どものために部屋も自分もきれいにしておく」「人生で自慢できるのは(自分自身ではなく)子どもと夫だけ」。
女性は男性よりもずっと低賃金。
管理職は男性ばかり。
家事や育児は女性に任せきり。
1970年代、アイスランドと日本はまるで同じでしょう?
それから約50年。
アイスランドと日本はどうしてこんなにも違ってしまったのでしょう?
アイスランドでは男性の育休取得率80%を超えています。
政財界等のトップは男女半々です。(大統領も女性)
「なぜこんなに違ってしまったのか」の答えになりそうなあるできごとが、この番組で描かれています。
1975年、国連が「国際女性年」を宣言。
同年、第1回「世界女性会議」がメキシコシティで開催されます。
アイスランドでは1970年ごろから「レッドストッキング運動」という男女平等を実現するための、女性たちの運動が始まっていました。
「女性たちよ、赤いストッキングをはいて広場に集まれ」という合言葉から「レッドストッキング運動」と呼ばれたようです。
そして1975年「国際女性年」が宣言された年、運動の機は熟します。
10月24日、「女性の休日」と題し、女性たちが大規模なストライキを行ったのです。
国中の女性たちの90%が、その日いちにち家事や仕事を放棄し、「女性がいなければ家庭も職場もストップする」ということを知らしめたのでした。
アイスランドでももちろん、「男女とはそういうもの。このままでいい」と思っている人もおり、「仕事や家庭を止めるわけにはいかない」と「女性の休日」に反対する人もいました。
けれども、「このままではいけない」と思い、行動する女性が圧倒的に多かったのでした。
ストライキを受けて、1976年には性別による賃金格差を禁止する法律が成立します。
そして1980年には女性大統領ヴィグディス・フィンボガドゥティルが就任します。世界初の民主的に選ばれた女性国家元首です。
なぜアイスランドでは、このような行動ができたのでしょう?
逆にいうと、なぜ日本ではできなかったのでしょう?
考えているうちに思い浮かんだのが河合隼雄さんの『母性社会日本の病理』でした。
発刊は1976年。アイスランドで女性のストライキが行われた年の翌年です。
本著の内容について書き出すと大変長くなりますので今回は割愛しますが、「ジェンダー平等を勝ち取る運動が、アイスランドでできて日本でできなかった理由」が少しわかるような気がします。
この著書の中では、
・『切断する』父性と『包含する』母性のバランスのとり方によって、その社会や文化の特性がつくりだされていく
・日本は母性原理に基づく社会、西洋は父性原理に基づく社会である
としたうえで、次のような記述があります。
母性原理に基づく倫理観は、母の膝という場の中に存在する子どもたちの絶対的平等に価値をおくものである。それは換言すれば、与えられた「場」の平衡状態の維持にもっとも高い倫理性を与えるものである。
父性原理の基づくものは「個の倫理」と呼ぶべきであろう。それは個人の欲求の充足、個人の成長に高い価値を与えるものである。
日本は、たとえそれが男女不平等な社会であっても、与えられた「場」のバランスを維持することに重きを置いてしまうのかもしれません。
自分自身をかえりみてもやはりそうです。
実はこんな私でも、若い頃は「社会を変えたい」と闘志を燃やして闘っていた時期がありましたが、その時期は大きな葛藤がありました。
「平衡状態の維持に重きを置きたい」自分と、「平衡状態を破壊しなければと思う」自分との葛藤です。
90%の女性が「平衡状態を破壊しよう」と行動したアイスランドと日本との違いは、こういうところにあるのかもしれません。
日本が「母性原理に基づく社会」であり続けるならば、アイスランドと同じ方法でジェンダーギャップをなくすことはできないでしょう。
日本は日本なりの方法を模索しなければ、ジェンダーギャップ指数の低い国で居続けそうです。