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【教育】恩師が、亡くなる時もポケットに入れていた紙切れの話

あれから10年程になるのだろうか。
高校時代の恩師、憧れのH先生が事故で亡くなった。

我が母校の校長を務められ、退職されて2年も経っていなかった。
退職された翌年にいただいた年賀状には、「田舎に住んでいます。良い所です。また遊びに来てください」と書いてくださっていたのに。

もう50歳になろうかという教え子たち10数人が恩師のお墓に集った。恩師の奥さまも同行してくださった。

帰りにイタリア料理店で食事をしているとき、奥さまが一枚の紙きれをバッグから出して見せてくださった。

「Hが亡くなった時に来ていた服のポケットにね、こんな紙切れが入っていたのよ」

ノートの切れ端と思われるその紙切れには、H先生の独特の、情熱的な字体でこう書かれていた。

教えるとは希望を語ること。学ぶとは誠実を胸に刻むこと。‐アラゴン

あぁ、先生はいつも希望を語っておられた。

われわれは誠実であれたのだろうか。

あぁそうだ、我々大人は、希望を語らねばならないのだった。

天国に旅立たれてもH先生はH先生のまま、我々に教えてくださっている、
おそらくそこにいたみながそう思った。


還暦に近くなっても鮮明に思い出すH先生の授業がある。
(自分の中で美化されているのかもしれないが)

その頃のH先生は、30代の半ば、「○○高校のアラン・ドロン」と噂される長身の美男子だった。

(アラン・ドロンをご存知ない方、こちらをご参照ください)

それはH先生の古典の授業。

今日はね、授業をする気になれないんだ。

しばらく前に昔の恋人から会いたいと連絡があってね。
思い詰めた様子だと感じたのに、僕は会えないと返事をした。

昨日の夜、彼女が自ら命を絶ってしまった。

ごめん、授業はしなきゃいけないね。
では授業に戻ります。

50分の授業のうち、30分近くは悲しみに沈んだ先生の語り。
残りの20分は、教科書に戻って「源氏物語」。

H先生が光源氏にしか見えなかった。


生身の自分の弱さも悲しみもさらけ出し、生徒と対等に語り合ったH先生は今も憧れである。











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