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【本の紹介】『紫式部日記』(紫式部)②

本日は『紫式部日記』の2回目です。
第1回はこちら。

『紫式部日記』は、
1 日記文(1008年~1010年)
2 消息文
3 日記文(日付不明)
の三部構成になっています。

第1回では、1の「日記文」の内容について書いております。

第2回の今回は、2の「消息文」といわれている部分について書きます。

2 消息文

実は、「消息文」は、何かの間違いで『紫式部日記』に紛れ込んでしまったのではないか、という説があります。

普通は公にしないような、個人の容姿や性格を事細かに書いてあるのです。

1 中宮彰子の女房たち

たとえば、

宰相の君は、北野の三位のよ、ふくらかに、いとやうだいこまめかしう、かどかどしきかたちしたる人の…(略)


【現代語訳】
宰相の君は…あ、北野の三位の娘さんの方ですよ、ふっくらしてとても整った容姿に利発そうな顔だちをした人で、(初対面よりも見慣れたるにしたがってどんどん印象が良くなり、上品で洗練されていて、口元には高貴な雰囲気も艶っぽい雰囲気も漂っています。立ち居振る舞いなどは実に人目を引く美しさで、華やかにお見えになります。性格もたいそう感じがよく、可愛らしい一方でこちらを気後れさせるような品の良いところが備わっています。)

こんな調子で、小少将の君、宮の内侍、式部のおもと、小大輔、源式部、宮木の侍従、五節の弁、小馬と女房たちの人物評が続きます。
長所ばかりが書いてあり、短所は見当たりません。
初めは短所も書いていたけれども、読み直してみてこれはまずいかな、と思って消したとか?
妄想が拡がります。

このあと、大斎院選子の女房が書いたらしい手紙に「選子様に仕える女房たちが一番素晴らしい」などと書いてあるのを見て憤慨する話が続きます。

そして、中宮彰子の女房たちの弱点に言及し、「女房はどのようにあるべきか」についての紫式部の思いが綴られます。

2 和泉式部、赤染衛門 評

中宮彰子に仕える女房としては、和泉式部が紫式部の後輩、赤染衛門は大先輩です。

和泉式部についてはこんな風に書いています(かぼちゃ訳)

和泉式部にはちょっと褒められないところがあるのですが、ふだんの手紙の走り書きのような即興の場面で文才を発揮する人で、何気ないことばにもキラッとかがやくものがあるようです。
歌は本当にお見事。
和歌の知識や教養は本物とは言えないけれど、はっとするような一言が出てきます。
ただ、彼女が人の歌を批評したりするのを聞いていると、「いやいやそこまで考えて作ってはいないでしょう」と思ってしまいます。
「頭の下がるような歌人」とは、私は思いません。

手厳しいですが、長所も認めていますね。

赤染衛門についてはこんな風に(かぼちゃ訳)

この方は特別に権威のある歌人とされてはいませんが、実はまさに本格的な歌人です。歌人だからと言って事あるごとに読み散らしたりはせず、ちょっとした機会に詠んだものでさえ、それこそ「頭の下がる」詠みぶりです。

女房として大先輩の赤染衛門ですし、人間的に尊敬もしていたかもしれませんね。
ちなみに赤染衛門は、「栄花物語」の作者とも言われています。

その「栄花物語」には「紫式部日記」の日記文と全く同じ記述が含まれています。

「紫式部日記」の記述が「栄花物語」で使われていることに関して、次のような説があります。

紫式部はこの日記を、「女房心得」として娘の賢子のために書いた。
そのため賢子が原文を所有していた。
賢子は、「消息文」を抜いて赤染衛門に提供した。

それならば、「普通は公にしないようなことが書かれている」ことについても納得がいきますね。

3 清少納言 評

最後に、有名な清少納言評。(かぼちゃ訳)

清少納言ときたら、偉そうな顔をしてとんでもない人だったようですね。あそこまで利口ぶって漢字を書き散らしていますけれど、よく見れば足りないところだらけです。
彼女のように、「人と違っていたい」とばかり思っている人は、そのうち必ず目立たなくなって、将来はただおかしなだけの人になってしまうものです。彼女のように風流を気取っている人は、風流とは程遠いようなときでも、「ああステキ」と感動するのですから、そのうち一般の感じ方からかけ離れてしまって、的外れで中身のないようなことになるでしょう。そうやって中身がなくなってしまった人の成れの果てが良いはずがありません。

よくぞここまで辛辣に💦
けれどもこれは、清少納言個人を攻撃しているのではないでしょう。
「紫式部vs清少納言」は、「道長・中宮彰子vs道隆(伊周)・中宮定子」ですものね。

本当に嫌いだったのかもしれませんけれど😆

平安時代も「ペンは剣よりも強し」です。









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