運転中に突然ヒーリングが起きた話
先日、所用があって元の職場がある近隣の町へと車を走らせた。
この道を約30分、保育所にバタバタと子供を預け、または閉所に間に合うかと焦りながら往復した9年間だった。
この道中には、まるで昭和からタイムスリップしたような古い理容室がある。
大きな窓から見える鏡と床屋の椅子。
一瞬、もう廃業しているのかと思わせる店構えなのだが、外の柱に取ってつけたような赤白青のクルクルは、わりと朝早くから回っている。
この床屋を横目に走ったあの日々、ちょうどわが家の息子が読んでいた絵本がある。
「ザリガニータとサワガニッチ」の床屋さん
「絵本の床屋にそっくりだなあ」
「いつか息子に見せてやりたい」
毎朝この床屋を見ては、同じことを思い車を走らせた。
午前の早い時間、久しぶりの先輩同僚に会いに行くというそのタイミングがそうさせたのか?
たまたま海沿いに登る太陽が美しすぎたのか?
時間で言えばほんの数秒の出来事なのだ。
いつも通り、一瞬床屋に目をやった。
クルクル回っているサインを見て「ああ、変わらないな」と思った途端、突然ブワーーーっと涙が込み上げたのだ。
息子が保育所の頃、夫婦二人の子育ては崩壊寸前だった。
何となく違和感を感じてきた息子の個性と、それを理解できなかった夫。
数時間ぶりに保育所の玄関で見る顔はただただ愛しいのに、もっと厳しく育てたほうがいいのかと自分を罰した。
あの頃はそんな愛情の混沌の中にいた。
一周も二周も回って、息子にはもっと違った接し方があったろうと正直後悔は残っている。
ただ、逃げずに向き合った(対応は何度も間違ったかもしれないが…)結果、息子と共有できている思いも深いと思っている。
親を恨む思い出など一個もないなんて不可能だろう…
強くなれ息子!親を超えていけ!と(笑)
私が混沌の子育てを経てこのマインドに到達できたのは、昨年末息子が受けた診断がキッカケだったと思う。(これについては後日noteにしようと思う)
やっと、私と息子の長年の違和感が晴れたのだ。
そして、これは憶測だが夫も同じなのではないかと…。
もしそうなら、不理解を偏屈でコーティングした不毛なやり取りも納得(?)が行くし、小さい頃にその個性をサポートして貰えなかった世代は、社会で生き抜く大変さゆえに自己防御の術だったのではないかと…極々ほんの少し譲歩もできるようになった。
夫も息子の診断を受けて、そして医師のアドバイスを元に中学への対策を母子で話しているのを聞いて、夫自身もヒーリングされるものがあったのではないだろうか。
これは障がいではなく、目が悪ければメガネをかけるのと同じことだったのだと。
この息子の受診がきっかけで、我が家は変わった。
とは言え、見た感じ何にも変わっていないし、相変わらず夫婦の丁々発止は子供たちが嫌がるところだ。
でも、私が変わった
私の波動が変わったら、家の波動も変わった。
なんだ…そういう事なんだな…
長かったな…
と、しみじみ思う。
あの日の息子の顔や、心が散り散りになりそうなまま走った道。
絵本を読む時ですら、何か効能があれば良いなと、じゃあどうなったら満足だったというのか、本当にエゴにまみれた読み聞かせだった。
そんな景色や思い出が、溢れて溢れてボタボタ泣きながら走った。
先輩宅到着時にはすっかり涙も乾いていた。
「突然ヒーリングってあるんだなあ〜」
なんて驚く体験だったが、ちょっと恥ずかしさもあり道中の出来事は黙っていた。
年末年始の出来事もあり話は尽きなかったが、数十分の世間話の終わりに、
「あーりーはよく一人で働きながら育てたってこないだ話してたのよ」
「だから応援したいのよ」と。
もーだめだー!(泣)
こんな幸せな日があるか!
苦しさや悲しさや怖さや怒り。
あの日のネガティヴな感情は全て、この海と太陽と愛の言葉で浄化された。
いや、
いつだって変わらず与えられていた愛を、私が受け取らなかっただけの事。
随分時間を要した。
もったいなかったか?
違う。
それも良しだと自分を許す。
長い時間をかけて、愛されていた記憶が許すことを教えてくれた。
あの日にも今日にも愛が溢れていた。
この愛の波動は私の世界で無限に広がっていく♾️
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