いこらの創業秘話
ここに本屋あったらええのに、、
新宮駅のホームにて,買ったばかりのなれ寿司を頬張りながらふと思った。
地元の中高生たちがおのおの好きな本について熱く語り、笑っている。そこに本好きも本嫌いも集まっていい空間を共有する。学びもあり,出会いもあり,笑いもある。若い力が本屋を起点に町に元気を届ける。そんな本屋を大人たちが応援し,支え、見守る。
新宮市はそんな感じのなんかいい町になれる、そう確信した2021年3月の春日和だった。
こんにちは、いこらの福田旭です!
筑波大学 知識情報・図書館学類 4年で図書館について学んでおります。
駅に中高生主体の本屋をつくろうと活動しています。
なぜか?
先述のような、なんかいい未来を実現したいからです。
夢物語だと思われますか?
僕は思いません。実現可能です。
残念ながら,できない理由は山ほどあります。
今時本なんか誰も読まん。お金はどうする?誰が管理する?そもそもコロナ禍でそんなことしてる場合じゃない!
実際、そのようなご意見・ご批判はいただきました。
もっと残念なことは、それら全てのできない理由を覆すことができると確信している人間がここにいるということです。
新宮市始まって以来の不運と言えます。南海トラフに勝るとも劣らぬ悲劇として歴史に残ることでしょう。
今、人々が必要としているものはなんだと思われますか?
安心。安全。健康。普段の日常。
といったところでしょうか?
全てコロナウイルスによって脅かされているものです。
思い返せば,コロナウイルス流行以前から僕たちは同じものを求めていたように思います。
その根底にあるのは、人とのつながりへの欲求だと僕は考えます。
つまり、人とつながりたいのです。
人とは会って,話して,笑って,怒って,泣いて,悲しんで。
今はインターネットを通じて,SNSを使って簡単につながれます。
しかし、その利便性に反してつながりの弱さは致命的。クリック一回で全てのつながりを消去できます。(世界中の人とつながることが僕の人生を豊かにしていることもまた事実です。)
不自然なことをしているのだと僕は思いました。
原始時代に帰れとは言いません。
ただこの早くて便利で簡単で不自然な生活において、自然なことをすることがどれだけ重要かを考えていただきたい。
何が自然かは人それぞれです。正解はありません。押し付けられるものでもありません。
ただやはり、僕は人間が紡いできた歴史が教えてくれるのではないかと思うのです。
歴史の長さこそが自然さの証明ではないかと思うのです。
その考えによると人類は
本を読んで3000年(諸説あり)
インターネットを使って30年
スマホをいじって20年
というわけです。
どう見ても桁が違う。
30年の付き合いの人と3ヶ月の付き合いの人。
どちらが安心できるのか、信頼できるのか。
一概には言えずとも、その差は明らかに存在する。
なのに人は本はいらないという。
30年苦楽を共にしたけど、どんくさいあなたは用済み,3ヶ月の付き合いだけど便利だからこっちの人と付き合うわ。
そう聞こえるのは僕だけでしょうか。
それが悪いわけではないし,判断は大切。
ただただ不自然なことを僕は言いたい。
30年もの月日は好き嫌いに関わらず,その人の生活の一部になる。自然になる。
論理が飛躍していることは百も承知。
不自然さが1ページ分だけでも伝わればいいです。
そんな不自然さを緩和するには、自然なことをするしかないように思います。
その一つの答えが『いこら』です。
目と目を見て話す。
本をきっかけに会話が広がる。
あなたの知識が僕の知識と混ざり合う。
思いもしない結末を迎える。
なんかいい空間を一緒に過ごす。
ここにいていいんだと思える。
本を読む,それについて話す、新しいことを知る、何かに気づく、嬉しい,楽しい,難しい,面白い,悲しい,つらい,苦しい,ムカつく,泣く,怒る、考える,ご飯を食べる,寝る。
これが僕の思う自然。
そんな自然を新宮につくりたい。
中高生たちとつくりたい。
大人たちと見守りたい。
新宮をなんかいい感じにしたい。
いこらって言いたい。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。