書籍レビュー『1989年のテレビっ子』戸部田誠(2022)'70~'90年代のバラエティ(お笑い)史
※3000字近い記事です。
お時間のある時に
お付き合いいただけると嬉しいです。
誰にでも手に入る情報を
もとにしつつ、
誰も書いていないこと
著者は私と年代が近く、
この本で書かれていることも、
私が10代の頃から
追ってきたような話しでした。
ですから、「今さら」
という感じもあったのですが、
読みはじめてみると、
思いのほか、夢中になって
読んでしまいました。
改めて、
「自分はあの時代の
テレビが好きだったんだなぁ」
と実感したところです。
本書はタイトルの通り、
「1989年」を境にして、
その前後のテレビについて
書かれています。
(おもにバラエティ番組)
'89年といえば、
『ひょうきん族』が終わり、
ウンナン・ダウンタウンの
『夢で逢えたら』が
23時台に昇格し、
全国ネット放送に
切り替わった年でもあります。
'89年は、その他にも
大きな出来事が多く、
時代の節目という感じがしますね。
(昭和天皇の崩御、
元号が昭和から平成に。
手塚治虫、美空ひばりが逝去)
そんな時代のことが、
この本では著者の当時の
視点も交えつつ、
(わずかながら)
年代順にまとめられています。
しかも、特筆すべきは、
本書は当時の関係者に
取材することなく、
一般に公開された、
テレビ、ラジオ、
雑誌、書籍からの情報で
構成されているところです。
言ってみれば、誰にでも
書こうと思えば書けることを
敢えて、まとめたんですよね。
(誰にでも手に入る情報を
もとに書かれた。
著者本人もそう書いている)
しかし、これまで、
誰も書いていませんでした。
部分的なこと、
例えば、各番組の裏話などは、
これまでにも
関係者の口から出ることは
ありましたが、
それが一冊の本に
このような形でまとまったのは、
はじめてのことです。
そういう意味でも
画期的な本でした。
'70年代~'90年代の
バラエティ(お笑い)史
本書の構成は以下のように
なっています。
第1章では、
'80年代の漫才ブームが
いかにして起こったかが
書かれています。
きっかけは'70年代末、
B&B の漫才が注目されたのが
きっかけだったようです。
そして、漫才ブームが
第2章で書かれている
『ひょうきん族』に
つながっていくんですよね。
第3章では、
時代が少し戻り、
コント55号の話も出てきます。
かつて、土曜日の夜8時は
お笑い番組の聖地的な
時間帯だったんです。
そのきっかけを作ったのが、
コント55号の番組でした。
(『コント55号の世界は笑う』
'68~'70/フジテレビ)
その裏番組として、
'69年にTBS で
はじまったのがドリフの
『8時だョ!全員集合』です。
この第3章では、
おもに、ドリフにあとから
加入した志村けんが
どのようにして
売れていったかが
書かれています。
そして、『ひょうきん族』が
『8時だョ!全員集合』を
終了に追い込みますが、
その後にはじまった
『加トちゃんケンちゃん
ごきげんテレビ』が
('86~'92)
今度は『ひょうきん族』を
終了に追い込みました。
第4章では、とんねるず、
第5章では、お笑い第3世代
と言われた
ダウンタウンやウンナンのことが
書かれています。
第6章では'90年代に
視聴率トップに躍り出た
日本テレビの躍進について
書かれていました。
お笑い番組のノウハウが
あまりなかった日テレが
どのようにして、
それを手に入れたかが、
書かれており、
とても興味深かったです。
第7章は、BIG3
(たけし・タモリ・さんま)の
'89年以降について書かれています。
タモさんに関しては、
この頃、「落ち目」みたいに
言われていたのは、
知っていたのですが、
たけし、さんまに関しても、
それぞれ苦労した時代
だったのは私もはじめて
知りました。
最終章は、東日本大震災以降に
顕著になった
テレビの「自粛」について、
著者の視点から、
さまざまな想いが綴られた
エッセイとなっています。
'89年以降の日テレ
バラエティの躍進
この本に関しては、
各部分について書くと、
記事が長くなってしまいます。
散々、この手の本を
読んできた私でも
知らなかった情報について
残しておきましょう。
一番、興味深かったのは、
日本テレビの話ですね。
大抵、'70年代以降の
バラエティの歴史を語る時、
その中心となるのは、
フジテレビでした。
たしかに、'80年代の
フジテレビは凄かったんです。
一方の日本テレビは、
その時代、バラエティが
薄めだったらしいですね。
ベテランの
プロデューサーが抜けて、
後進の育成もうまく
いっていなかったようです。
その流れを変えたのが、
『電波少年』シリーズなどを
('92~'03)
手掛けたプロデューサー、
土屋敏男氏でした。
彼は若い頃に欽ちゃんの
番組で鍛えられたディレクター
というのは知っていたんですが、
'80年代末期から、
とんねるず、ダウンタウン、
ウンナンを自局の番組に
引っ張るために
人知れず暗躍していた
という話は、
はじめて知りました。
そして、日テレといえば、
ダウンタウンの
『ガキ使』('89~)が
今でも有名ですが、
その番組の名物プロデューサー、
菅賢治氏にダウンタウンの存在を
知らせたのも土屋氏だったそうです。
(菅氏、土屋氏は同期入社)
『ガキ使』がはじまった頃、
ダウンタウンは東京では
それほど知られた
存在ではなかったのですが、
「全国の人たちに
ダウンタウンの漫才を
観てほしい」
という菅氏の思いから、
あの番組は、はじまったんですね。
(実際に放送開始当初は、
ダウンタウンの漫才が
メインに据えられていた)
そして、ダウンタウンを
口説き落とすために、
土屋氏は他局の番組にも
かかわらず、
『夢で逢えたら』の収録現場に
毎日のように訪れ、
ダウンタウンと
飲みに行っていたそうです。
一方で、菅氏は、
明石家さんまの
『恋のから騒ぎ』
('94~'11)
『踊る!さんま御殿!!』の
('97~)
プロデューサーも務めていた
ことからもわかるように、
さんまの番組で鍛えられた
スタッフでもあったんですね。
さんまと菅氏のつながりは、
さんま・小堺一機の
コント番組
『イッチョカミでやんす』
('89~'90)
まで遡ります。
(この番組も菅氏の熱烈な
ラブコールによってはじまった)
その頃の日テレでは、
本当にバラエティのノウハウが
失われており、
おもに『ひょうきん族』などを
通じて培ってきた
さんまのノウハウを
スタッフが教えてもらいながら、
番組作りをしていたそうです。
この番組自体は、
視聴率が伸び悩み、
短命な番組ではあったのですが、
その後の日テレの
バラエティの流れを考えると、
欠かせないターニングポイント
と言えるでしょう。
さんまとのつながりがなければ、
『から騒ぎ』や
『さんま御殿』もなければ、
『ガキ使』も
生まれていなかった
かもしれません。
書きたいことはまだまだ
たくさんあるのですが、
長くなってしまうので、
この辺にしておきましょう。
とにかく、
番組の裏側を知るのは、
人のつながりが見えて
おもしろいですね。
【書籍情報】
発行年:2022年
著者:戸部田誠
出版社:双葉社
【著者について】
1978年福岡県生まれ。静岡県出身。
2005年、テレビ批評ブログ
「てれびのスキマ」を開設。
2009年、ライターデビュー。
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