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考え方の基礎となった番組「カトケン」

昭和生まれのえんじろうが、子供の頃一番楽しみにしていたバラエティ番組がありました。今ではバラエティどころかテレビそのものを見ない(本当はない)生活を続けていますが、今回はその番組「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」について語ります。

週に一度の楽しみ

テレビとビデオデッキの画像

えんじろうは小学1年生のときから実家を離れ、寮生活をしていました。寮にはテレビはあるものの、1台を寮生で取り合うわけにもいかず、基本的に学年が上の人が見るものでした。
このため実際のところ寮でテレビを見るようになるのは小学生高学年、加えて大人が見ていない時間だったと思います。

そんなわけでテレビを見られるのは週に1度、実家に帰宅した土日ということになります。当時の土曜日は半日学校でしたから、正確には土曜夕方から日曜夜ということです。
そんな時代の最大の楽しみは、まだ翌日へと休みが続いている嬉しさの中放送されていた土曜夜8時からの「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」という番組でした。

番組の初めは時報から

覚えておられますでしょうか?当時は時報の「ポーン」という音と共に、オープニングが始まるのが当たり前でしたね。今と違い電波が映像になるためのタイムラグがないので、正確に時を告げられました。

この曲が流れ出したらもうテレビの前から動かない。トイレも済ませてビデオもないこの時代の「今だけの時間」を本当に大切に考えていたものです。

文字+音声+映像と、人間は記録のしくみが充実するほどに、時や記憶に対して不誠実になっているとも言えるのかも知れないですね。
いずれはここに嗅覚+味覚+触覚も加わり、ほぼ全五感体感型拡張現実が実現すると、人にとって記憶というものの価値が無くなるのかも知れませんね。あーあれね、いつでも追体験できるから日付と場所くらいしか覚えていないよ(なんてね)

様々なコーナー

この「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」は、中身がいくつものコーナーで感性されており、そういったメリハリも含めて子供の感性ではとても長い時間楽しませてくれる番組という印象になっていました。

ドラマみたいな探偵コント?

オープニングの後から始まるコーナーでは、まず探偵をしているカトケンの元にボスという割れる人物からの変な依頼がある。そして始まる「ドラマ仕立てのコント」とでも言うのでしょうか?ほぼお笑い中心のショートストーリーという形で展開していくこの最初のコーナーが一番好きでした。
日常に突如押し寄せてくるへんてこ(無茶苦茶)な世界に翻弄されて、それでも最後は不思議となんとかなっちゃった気がするという展開がワクワクでした。なんとかなっちゃわずに引っ散らかして終わることも多く、それもそれで楽しい。

カトケンがゲストと行う、探偵業務に入る前の「おまじない」の小ネタ「だーいじょーぶだー」ポポンッポンは、のちの「志村けんのだいじょうぶだぁ」の名称に引き継がれている頃も印象深かったです。そっちでは大丈夫だあ太鼓は出てこないのですがね。
そこには純粋な「面白い」がたっぷり詰まっていた感じがして、本当に大好きでした。

カトちゃんファン

えんじろうは中でも「加藤茶」さんの声がとても好きで、そのちょこちょこした立ち回りや、どちらかといえば真面目ポジションに見えて突っ込まれ役で、だけれど一方的突っ込まれ役ではなくそれなりに良い場所にいるような。
なんかうまく説明できていませんが、そんなとっても愉快で楽しいのにそこそこ無難な立ち位置なところが好きでした。
「志村けん」さんは亡くなられてしまいましたが、最後までギャグ中に全身でダイブしきるような雰囲気で、多分えんじろうにはその刺激は強すぎたのかも。でも二人のコンビとバランスがとても好きでした。

つまらない歌の時間

歌の時間

ドラマが終わると、子供似はちょっと(いやすごく)つまらなかったゲストの歌のコーナーが有りました。順番違ってたかな?
この好きにトイレにゆき、その次のコーナーの準備をします(失礼な)

おもしろビデオコーナー

ビデオを手に微笑む親子

その次には視聴者から寄せられたおもしろいビデオをカトケンと一緒に見る「おもしろビデオコーナー」が待っていました。

当時は「8ミリビデオテープ」だったのですよね。今のように本当だか嘘だかわからないほどの編集の技術が優れていないので、本当に生々しいありのままの姿が移されていたのが印象的でした。
ある意味ドラマ仕立ての完全制作物の最初のコーナーと対を成すような企画でしたね。

封筒とビデオテープ

思い出補正ではない

世の中には「思い出補正」という言葉があります。実際の体験よりも思い出になると美化されて残ってしまうものという話ですが、これはそうではありません!実際に小学生の週に1度の幸せの瞬間でしたし、本当に楽しみな時間でした。
そしてビデオという存在の凄まじさをとことんまで「憧れ」という形で感じさせられていた出来事でもありました。

まとめ

言ってみれば、この番組をこの瞬間しか見られないあの頃の自分と、その中で利用されている時間がいつでも巻き戻せるような「ビデオ」という神器を同時に知らしめられた時間だったと言えます。

それからカトちゃんケンちゃんのなんでも楽しんでしまえる精神は、今のえんじろうの構成要素の1つにもなっています。
そして動画編集や記録や配信と行った行為に対する憧れの元になった存在でもありました。こちらはいざ叶ってしまうと、思ったほどのめり込みはしませんでしたが(笑)

どちらにせよ、子供の頃の体験は本当に大人になったときの考え方の基礎にもなれる大きなものなのだと思いました。



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