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書籍レビュー『武蔵野』国木田独歩(1896~1900)独歩が愛した風景の詰め合わせ
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一度は訪れてみたい武蔵野
国木田独歩(くにきだどっぽ)の
『武蔵野』は中学時代に知り、
いつか読みたいと思っていた作品です。
中学時代の私が本作を
知ったきっかけは、
『鉄腕アトム』でした。
『鉄腕アトム』
「赤いネコ」の冒頭で、
手塚治虫が登場し、
『武蔵野』の一文を
引用していたんですよね。
(作中にも武蔵野が出てくる)
「武蔵野」という地名は、
その時に知ったのですが、
とてもインパクトのある一文でした。
「武蔵野を歩く人は
道をえらんではいけない」
どうして道を選んでは
いけないのかというと、
どこへ行っても、
そこには目を見張るべき、
自然が溢れているからです。
実際、この『武蔵野』では、
国木田独歩が毎日のように、
そこへ足を運び、
気の赴くままに、
散策したある日の武蔵野の
描写が淡々と描かれています。
その中には、森の木々の
美しさはもちろんのこと、
そこに住む鳥のさえずり、
川の流れが詩的な表現を伴って、
表現されているんですよね。
『武蔵野』を読み終えて、
ふと、「今の武蔵野は?」と気になり、
調べてみると、
このような記事が出てきました。
「デイリーポータルZ」の
この記事を見ると、
『武蔵野』で描かれた世界は
現在とかけ離れているのが
よくわかります。
短編で描かれる明治時代の日本
中学生の頃から
『武蔵野』を知っていたとはいえ、
実際に読むのは
今回がはじめてでした。
私はてっきり『武蔵野』は
小説だと思い込んでいたのですが、
これは随筆ですね。
国木田独歩は、小説だけでなく、
詩や随筆も残していました。
本書に収録されているのは、
(今回読んだのは新潮文庫版)
はじめて単行本として
『武蔵野』が刊行された時に
収められた18本の短編です。
【収録作品】
武蔵野『国民之友』明治31(1898)/郊外『太陽』明治33(1900)/わかれ『文芸俱楽部』明治31(1898)/置土産『太陽』明治33(1900)/源叔父『文芸俱楽部』明治30(1897)/星『国民之友』明治29(1896)/たき火『国民之友』明治29(1896)/おとづれ『国民之友』明治30(1897)/詩想『家庭雑誌』明治31(1898)/忘れえぬ人々『国民之友』明治31(1898)/まぼろし『国民之友』明治31(1898)/鹿狩『家庭雑誌』明治31(1898)/河霧『国民之友』明治31(1898)/小春『中学世界』明治33(1900)/遺言『太平洋』明治33(1900)/初恋『太平洋』明治33(1900)/初孫『太平洋』明治33(1900)/糸くず『国民之友』明治31(1898)
前述したように表題作の
『武蔵野』は随筆で、
他の短編の中にも
随筆っぽいものがありますが、
いずれも短編小説です。
国木田独歩は短編を
得意とした作家だったそうで、
生涯で長編小説を仕上げたことは
なかったようですね。
本書に収録されたものは
18篇もありますから、
長さはまちまちで、
2~3ページほどの
短いものもあります。
(掌編という)
最後に収録された『糸くず』は
重訳(※)したもので、
元はフランスの作家、
モーパッサンの『ひも』
という作品でした。
※重訳:原文から訳すのではなく、
翻訳されたものをさらに訳すこと。
『糸くず』の場合は、
もとはフランス語で、英訳されたものを
日本語に訳している。
なので『糸くず』だけは、
ヨーロッパが舞台の世界観で、
毛色が異なっています。
その他の作品は、
どれも独歩が作品を
手掛けた同時代、
明治の日本が舞台です。
(中には明治よりも少し前の
時代の感じもある)
独歩が愛した風景の詰め合わせ
国木田独歩の作品を
読むこと自体がはじめてだったので、
読みはじめた時は、
少々難しい感じもしました。
作品が書かれた当時は、
言文一致(※)になってから
間もない時代なので、
まだまだ文体に
「文語体」の名残が
多く感じられます。
※言文一致:
話し言葉と書き言葉を
一致させること。
「文語体」は口語とは異なる
文章ならではの表現。
読みはじめた時は、
「〇〇候」みたいな表現が
読みなれず、
いちいちひるんでいたのですが、
慣れてくると、この「候」が
心地いいリズムにさえ
感じられるように変化しました。
加えて、国木田独歩は、
詩人でもありますから、
詩的な表現が多く出てきます。
その表現が豊かであればあるほど、
文章自体の魅力は増すのですが、
一方で、具体的に物事を描く表現と
詩的な表現は異なるので、
そこも人によっては
理解が難しいかもしれません。
私が本書を読んで
もっとも感銘を受けたのは、
自然の描写の素晴らしさは
もちろんのこと、
独歩が「自然」に含めた
何気ない日常の描写ですね。
名もなき市井の人々の生活の
何気ないことが美しく描かれています。
私も市井の一人として、
この感覚には励まされるところが
ありました。
別にとりたてて、
何かがあるわけではない、
自分ではとりえもなにもない、
とすら思っていても、
他人から見れば、
そこには他人にはない、
魅力があるんですよね。
独歩という人は、
それを見過ごさず、
その記憶をいつまでも大事に
覚えていたのだろうと思います。
普段、何気ないモブキャラを
やっていますが、そんな私でも、
通りすがりの誰かから見れば、
「あれはいい光景だったなぁ」
と思い出させるような
何かがあるかもしれないんですね。
別に私も市井の人々も
そのために生きている
わけではないですが、
その何気ない日常の
「ありがたさ」みたいなものが
独歩の作品から伝わってきます。
独歩が愛した多くの風景が
作品として読み継がれ、
こうして100年後の時代を生きる
私のもとにしっかり届いたことに
驚きを感じざるを得ません。
【作品情報】
初出:『国民之友』ほか
(1896~1900)
著者:国木田独歩
出版社:新潮社ほか
【著者について】
くにきだどっぽ。
1871~1908。
千葉県生まれ。
広島県、山口県育ち。
1897年『独歩吟客』を発表。
代表作『武蔵野』(1898)
『酒中日記』(1902)
『竹の木戸』(1908)など。
【同じ著者の作品】
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『酒中日記』(1902)
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