書籍レビュー『世界でいちばん幸せな男』エディ・ジェイク(2020)目を背けてはいけない歴史
今も左腕に残るナチスの痕跡
note の「読書の秋2021」の
課題図書一覧で縮小して掲載されていた
本書の表紙を見た時、
コメディーの本かと思いました。
もしくは、世界的な成功者が、
その知恵を綴った自己啓発書か
何かかと思ったのです。
だって、あまりにも、
表紙に映っているおじいちゃんの顔が
優しそうな表情をしているんですもの。
ところが、本書のサブタイトルを見て、
思わずギョッとしてしまいました。
そのサブタイトルは、
「101歳、アウシュヴィッツ生存者が語る
美しい人生の見つけ方」
表紙に映っている人物は、
紛れもなく著者のエディ・ジェイク氏です。
写真で彼は左腕を捲り上げていますね。
その腕をよく見ると、
番号のような痕跡が見えます。
これはアウシュヴィッツの
強制収容所で彫られたもので、
背中にも同じ番号が彫られているそうです。
ユダヤ人の強制収容所に入れられた人々は、
そこから生還しない限り、
二度と名前を呼んでもらえませんでした。
一人ひとりに番号が付けられ、
数字で呼ばれるのです。
労働時間には首にプレートをかけられます。
そのプレートには
「ミスしたら絞首刑」と書かれていたそうです。
寝る時は見ず知らずの他人と
裸で狭い部屋に押し込められ、
身を寄せ合って寝なくてはいけません。
服を脱がなければいけないのは、
逃亡できないようにするためです。
夜中に目が覚めたら、
端の人を起こしてあげて、
今度は自分が端に寝る必要があります。
そうしなければ、端に寝続けていた人が
凍死してしまうからです。
ナチス・ドイツは、
ユダヤ人から多くのものを奪いました。
彼らの名前も、尊厳も、そして多くの命も。
世界でいちばん幸せな男
著者のエディ・ジェイク氏は、
1920年ドイツ生まれのユダヤ人です。
101歳になる彼ですが、
現在も自身の経営する会社で
仕事をしています。
近年は自身が経験したホロコーストの
体験を広く伝える活動をしており、
本書もその一環として刊行されました。
しかし、強制収容所から生還しても、
彼はこの話を何十年も
心の中にしまってきたそうです。
忌まわしい過去であり、
こんな話をしたところで、
強制収容所での経験は、
実際のところ体験した本人にしか
わからないと思ったからです。
やがて、年数が経つにつれ、
考えが変わっていきました。
「生き残った人間には、
これを伝える義務がある」
自身の息子にさえも
この話はしていなかったのですが、
彼の息子が大きくなってから、
こっそりと息子が彼の講演を
聴いたことがあったそうです。
講演が終わった直後、
父のいる壇上に上がった息子は
号泣しながら父である著者を
抱きしめたと言います。
強制収容所で人間としての尊厳を
ズタズタに引き裂かれ、
両親も親戚も殺されてしまった彼ですが、
今では愛する妻、子、孫たちに囲まれ、
幸せに暮らしています。
彼が強制収容所から脱出し、
心に誓ったのは、
「世界でいちばん幸せになること」でした。
それが彼にとって、
ナチス・ドイツに対してできる
唯一の復讐だったのです。
同じ過ちを繰り返さないために
私自身、ホロコーストについて、
まったく知らないわけではありませんでした。
しかし、本書のように、
ホロコーストの詳細について、
リアルな実体験を聴いたのは、
これがはじめてのことです。
これまで、私はどちらかというと、
性善説を信じて生きてきました。
どんなに意地悪な人でも、
凶悪な犯罪を犯してしまった人でも、
きっと人間として「いいところ」の
一つや二つはあるものだと。
ところが、本書に書かれている
強制収容所での実体験や
ユダヤ人の迫害について読むと、
「人間というのは、
ここまで残酷になれるものなのか」
と大変なショックを受けました。
ナチス・ドイツというのは、
巧みな洗脳工作をしていましたから、
その影響を受けていた彼らも
被害者といえば被害者です。
それにしても、「洗脳された」にしてもです。
同じ人間に対して、
ここまで残酷な行為ができるのか、
というのがジェイク氏の実体験を
読んで感じた正直な感想でした。
人間は置かれた環境によっては、
「悪魔」にもなってしまうのですね。
具体的には本書を読んでほしいのですが、
これは全人類が
忘れてはいけない歴史だと思います。
ジェイク氏のように語る人がいなければ、
これは歴史の中に葬り去られる類の話
と言っても過言ではありません。
携わっていない人にとっても、
おぞましく、忌まわしい過去だからです。
しかし、目を背けてはいけないと思うのです。
なぜならば、ナチス党というのは、
「政党」だったのですから。
映画やマンガに出てくるような
悪の組織でもなんでもありません。
ナチスは、国民が選んで決めた政党だったのです。
しかし、差別や偏見にまみれた政策は
必ず多くの人を不幸にします。
このことを忘れ、
国民が政治に対して無関心であれば、
同じ過ちを繰り返すことでしょう。
だから、私は世界中で、
この本が読まれることを強く望んでいます。
どんな国でも同じ悲劇を
繰り返してほしくないからです。
最後に本書に書かれたジェイク氏の言葉で
もっとも心に残った言葉を紹介します。
どうか、この本を閉じたあと、
あなたの人生のすべての瞬間に
感謝する時間をつくってほしい。
よいときも、悪いときも。
涙もあれば、笑いもあるだろう。
そして運がよければ、
すべてを分かち合える
友がいるだろう。
それをわたしは生涯を通じて理解した。
どうか、毎日、幸せでいてください、
そしてほかの人も
幸せにしてあげてください。
世界の友だちになってください。
あなたの新しい友、
エディのために。
【書籍情報】
発行年:2020年(日本語版2021年)
著者:エディ・ジェイク
訳者:金原瑞人
出版社:河出書房新社
【著者について】
1920年ドイツ生まれ。
ナチス政権下でブーヘンヴァルト、
アウシュビッツなどの強制収容所に入れられる。
’45年、脱出し、アメリカ軍に保護される。
’50年、家族とともにオーストラリアへ移住。
’92年からシドニーのユダヤ人博物館で
ボランティアをはじめる。
’16年頃から YouTubeなどで、
自身の体験を語りはじめる。
’19年、TED TALKSへの出演が、
世界的な大反響を呼ぶ。
【ホロコーストについて書かれた文献】