新日本プロレス50周年の頃、新日本プロレスのトップ戦線に「猪木イズム」はどれくらい香っているのだろうか考える。
今回は、先日公開された蝶野選手の連載インタビュー記事の最終回の内容に触発された書こうと思った「猪木イズムと現在の新日本プロレス」についてです。蝶野選手の記事はこちらです。
直接的な猪木イズムは2005年で終了
蝶野選手のインタビューにもある通り、05年11月にアントニオ猪木氏はゲーム会社のユークスに全ての保有株を売り渡し、新日本プロレスを売却しました。
新しいオーナーがどれだけ会社のことを考えているといっても、プロレスの現場を知らない人間には求心力はない。神輿を担ぐのと同じで、その中には神がいる。神はプロレスラーでないといけない。張り合いがなくなったのは、そういう古い考えで新日本と関わってきたからだろう。
蝶野選手が上記の通り述べるように新しいオーナーとなり、直接のアントニオ猪木氏の影響や威厳は遠ざかり、実質的な脱アントニオ猪木氏は05年11月に起こったと言えます。
脱アントニオ猪木の急先鋒としての中邑真輔選手と棚橋弘至選手は最後の「猪木イズム」世代?
05年にアントニオ猪木氏は経営から退き別のオーナーになったといえど現場の選手はまだまだアントニオ猪木氏の薫陶を受けてきたレスラーが多い状態でした。
その中でも、最も若手で勢いがあった中邑真輔選手と棚橋弘至選手は、低迷する新日本プロレスを回復させるためにも「脱アントニオ猪木」の急先鋒として奮起していました。
09年に自らを「本流=猪木イズム側」と称する永田裕志選手が、中邑真輔選手や棚橋弘至選手が猪木イズムに反骨するものとして、表現しているのがとても印象的です。棚橋弘至選手は、道場にあるアントニオ猪木氏のポスターを剥がしたことでも有名です。
99年に入門をした棚橋弘至選手、02年に入門をした中邑真輔選手は、共に05年にアントニオ猪木氏が去る前の新日本プロレスに入門をしたともいえ、最後の「猪木イズム」世代とも言えます。「猪木イズム」の香りがあったからこそ、そこから脱するための反骨運動をしたとも言えそうです。
50周年を目前に控えて05年以降に入門をした「脱アントニオ猪木」世代がトップ戦線に。
中邑真輔選手や棚橋弘至選手とは違い、アントニオ猪木氏が去った05年以降に入門をした選手たちは、本当の意味でアントニオ猪木氏の影響は直接は受けていない「脱アントニオ猪木世代」の選手と言えます。
05年に入門をした内藤哲也選手、07年に入門をしたオカダ・カズチカ選手、14年に入門をしたジェイ・ホワイト選手。ジュニアだと09年に入門をした高橋ヒロム選手もその世代と言えます。
また05年以降他団体から移籍してきた飯伏幸太選手、SANADA選手、タイチ選手、石森太二選手、鷹木信悟選手などなどのトップ選手も直接の世代ではないので「脱アントニオ猪木世代」の選手と言えます。
現在の新日本プロレスのトップ戦線は基本的にはこの「脱アントニオ猪木世代」の選手たちと言って否定をする人は少ないと思います。そのような意味では、メイ社長新体制の新日本プロレスは新日本プロレス史上初の本当の意味での「脱アントニオ猪木世代」の新日本プロレスと言えるかもしれません。
50周年はどうなる!?踏ん張れるか「アントニオ猪木最終世代」
1972年にアントニオ猪木が旗揚げをしてから50年の節目が3年後の2022年にやってきます。既に脱アントニオ猪木世代がトップ戦線の中心にはいますが、ヘビーでは棚橋弘至選手・後藤洋央紀選手・真壁刀義選手、ジュニアでは田口隆祐選手がまだ残っています。WWEから中邑真輔選手が帰ってくる可能性もゼロではないかもしれません。
3年後にはどの選手も40代中盤くらいになりますが、まだまだ選手としてはやれる世代とも言えます。非常に動きの早い現在の新日本プロレスの中で、50周年までの残り3年間で新日本プロレスの中心が完全に「脱アントニオ猪木世代」になるのかどうか、非常に見どころだと思います。