開放する事が生きやすさをもたらす
昨日ニューロフィードバックというものを受けてきた。初めての体験。どうなるかと思いきや、何が分かるかと思いきや、、、
また、知らぬじぶんに出会えるという、体験をした。
私はとにかく考え抜くことが止められなかったり、探求する事をしないと落ち着かないというか、モヤモヤしたものを言語にしてハッキリさせて正体を暴こうとすると、モヤモヤを解くいい言葉が出てきたりするので、それが快感でもあり、探求して言葉にすることに取り組んできた。ただ、これは楽なことではなく、言ってしまえば、頑張ってやっていると言っていい。
それこそ、これは後から身に付けた事と思う。だからか、時々頭が痛くなって娘に冷えピタを貼ってもらうことがある。肩こりから来るものとも思うが、多分たぶん違う。本当に考えすぎなのだ。
でも。。。昨日知ってしまった、、、ニューロフィードバックの脳波?のフィードバックを貰っている時、ポツリと言われた。「そこより、楽に出来る事ありそう。そんなに考えない方が上手くいくかもよ。」ということ。
えぇぇぇっぇえっぇぇぇっぇえぇぇぇっぇぇぇぇ~~~~~~~~
どうやら、右脳が落ち着かせる方が得意らしい。言い方は違ったかもしれないけど、右脳をもっと刺激してあげた方がいい、ひらめきや直感を活かしていった方が上手くいく、そう解釈した。
特に高校生くらいからは、めちゃくちゃ、考える人になり、体を動かすことは中学で辞めたし、音楽に取り組むことも高校で辞めた。
代わりに何をやったかといえば、、、学校の勉強だ。受験に取り組んだ。浪人時代は特に半年で“ばてて”、無理してるんだなと思っていた。このあたりから灰色になっていったな、そういえば。
本当に右脳を活用させる方が上手くいくのなら、、、右脳を眠らせている生活を長くしているように思う。この頃ちょっと刺激していたのだろうとは思う。
思えば、、、中学生の頃までは、ほとんど悩みなんってなかったと思う。好きな子に電話したり、どうやって話しかけようくらいの悩みだった。先生とも上手くいき、容姿が良かったとは言えないがファンクラブがあったらしく、そんなのも意外過ぎて良く分からず、それを特に利用することもなく、自分を優等生とも劣等生とも思わず、とにかく楽しく過ごしていたように思う。そして、多くの活動をしていたように思う。それと、心が折れなかったのも中学校の特徴だ。仲が良かった子が急に不良グループと仲良くなって、数人で私を囲んだりしたこともあったが、何を言われても心には響かず、というか傷つかず、学校へ行きたくないにもならず、ひょうひょうと過ごしていたように思う。この頃は本当に伸び伸びとしていた。
たぶん、周りを気にせずに生きていられた時代なのだろう。ただ己を生きていただけな感じだ。
そして先日書いた、こちら。
家族にしか見せていな姿が明らかにいるな、という秘密の窓があることに気付いたことをこちらに記したが、まさに、この右脳が解放されている時間が家族といる時間なのである。
声を出し、体を動かし、気持ちを表現したり、アウトプットする。これが私にとっては右脳を開放する事であろうと思う。
けして急に絵を描きだしたり、踊りだしたり、インテリアに凝りだしたりするわけじゃないだろう。そのセンスはたぶんない。
それが出来る家族であることが、私に何よりも幸せをもたらしているのだと、昨日ハッキリわかった。家族に言わないことだってある。モヤモヤすることだってある。思い通りにいかない不自由さを感じることなんて日常茶飯事だ。
でも、私にとって、生きやすさをもたらしてくれる最も必要不可欠な受け皿が、私の家族にはあったのだ。
この、右脳を開放する。この生き方を家族の外の世界でも少しづつしていくこと。それが私の一番の幸せに繋がっていくように感じた。
お金を稼ぐことよりも、生き甲斐を追求するよりも。何よりも緊急じゃないが大事なことがここにあった。