【ふくろう通信12】「野火」の神とは何か
戦争が身近になってしまった今、改めて戦争文学の名作として名高い大岡昇平の「野火」(新潮文庫)を読んだ。戦時中のフィリピン・レイテ島を舞台に、飢えに苦しむ一等兵が人肉食のタブー破りをかろうじて逃れる物語だ。極限状況におかれても、信じるものがあれば人間らしさを捨てなくてすむというメッセージを感じた。
主人公の田村一等兵は肺病持ちで中隊の食料集めに参加できず、厄介払いされる。一人でレイテ島をさまようなか、ふとしたはずみで現地女性を殺してしまう。やがてあちこちに横たわる死体に肉を切り取った跡があることに気づく。知り合いの若い兵隊が年配の兵隊を殺して解体をはじめたとき、田村は若い兵隊に銃を向ける。その瞬間、後頭部を打撃されて気を失う……。
豊穣な自然に「神」を感じる
田村は子どもの頃、キリスト教に興味をもった。<その後私の積んだ教養はどんな宗教も否定するものであり、私の青年期は「方法」によって、少年期の迷蒙を排除することに費やされた。その結果私の到達したものは、社会に対しては合理的、自己については快楽的な原理であった>が、レイテ島をさまようなか、あちこちで見かける十字架に少年時代を思い出し、心を動かされる。
では、戦場がカトリック国フィリピンでなければ、「合理的、快楽的な原理」に基づいて生命を維持するため意識的な人肉食をためらわなかったのか。実はフィリピンに到着してすぐ、豊穣な自然に「神」を感じていた。
<比島の熱帯の風物は私の感覚を快く揺った。マニラ城外の柔らかい芝の感覚、スコールに洗われた火焔樹の、眼の覚めるような朱の梢、原色の朝焼と夕焼、紫に翳る火山、白浪をめぐらした珊瑚礁、水際に影を含む叢等々、すべて私の心を恍惚に近い歓喜の状態においた>
田村は死の予感のなかで東南アジア特有の「生の氾濫」を見せてくれた偶然に感謝し、実は「運命」に恵まれていたのではなかったかと思う。そしてこの「運命」という言葉は<もし私が拒まないならば、容易に「神」とおき替え得るものであった>。
後頭部打撃の「恩寵」
田村は女を殺したことで社会に戻れなくなると思い詰める。社会に戻れない(戻らない)なら、社会的規範である人肉食のタブーからは解放される。ましてや田村はすでに「猿」と称する干し肉によって人肉のうまさを覚えていたので、禁忌破りの誘惑は非常に大きかったはずだ。結果的にタブーを破らずにすんだのは、後頭部を打撃される「恩寵」があったからにすぎない。
大岡は、帰国後の田村を精神病院に入れる。堕落した戦後社会と一線を画して尊厳を守らせたかったのだろうか。このあたりは坂口安吾の「堕落論」とも比べたくなる。堕落してでも生きた方が良いという主張も魅力的で、判断はわかれるのではないか。
タイトルの「野火」は、山火事ではなく、トウモロコシの殻を焼く煙。つまりフィリピンにはフィリピン人が住んでいるという当たり前のことを示している。日本軍は米軍と戦ったが、その戦場となったフィリピンでは多くのフィリピン人が日米の戦いのとばっちりを受けた。田村に殺された女性もその一人だ。そのことを忘れてはならないという戒めにも思える。
「死のかげの谷を歩むとも」
エピグラフ「たといわれ死のかげの谷を歩むとも」は旧約聖書・詩編23編の一部。この後は「あなた(主=神)がわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる」(新共同訳)と続く。敵陣のなか、飢餓に苦しめられる主人公の祈りの言葉としてふさわしいと思う。エピグラフ引用部の直前には「主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる」(同)とあり、最終的に人肉食の禁忌を(意識的には)破らなかった主人公の運命に呼応している。
ちなみにこの詩編はベトナム戦争を題材とする開高健「夏の闇」にも、米兵が弾よけのおまじない代わりにジッポのライターに刻んだ詩句として登場する。ただしパロディーの形で。
<たとえ、われ、死の影の谷を歩むとも、われ怖れるまじ。なぜってわれは谷のド畜生野郎だからよ>
では、また。