池内書房

東京・神保町の共同書店「SOLIDA」の棚主/ 開高健「オーパ!」シリーズを担当した名…

池内書房

東京・神保町の共同書店「SOLIDA」の棚主/ 開高健「オーパ!」シリーズを担当した名編集者をしのぶ「菊池治男の本棚」を運営/ 公益財団法人「開高健記念会」所属

最近の記事

【ふくろう通信15】「沖で待つ」読書会

 7月7日は東京都知事選の投開票日。現職、最有力挑戦者がともに女性という構図は、まだ不十分ながらも、男女がともに生きる社会が一歩実現に近づいた現れと言えるのではないか。  絲山秋子(いとやま・あきこ)の芥川賞受賞作「沖で待つ」(文芸春秋)は、1966年生まれの絲山が男女雇用機会均等法(1985年成立)の下での第一世代として大手メーカー(INAX)に総合職で入社した経験を元にした短編。同期入社の男女2人の、恋愛関係には至らない友情を描いている。都知事選直前に開かれた読書会には

    • 【ふくろう通信14】桐野夏生「悪い妻」のモデルとは

       作家の桐野夏生は昨年1月、神奈川県茅ヶ崎市で開かれた文学イベント「開高健の茅ヶ崎」のシンポジウムにパネリストの一人として登壇した。司会も含め5人の登壇者の中で唯一の女性。「私の若い頃は、開高健を読まなければ一人前の学生とは言えないというくらいの存在だった」と開高の存在感の大きさを懐かしむ一方、妻で詩人の牧羊子にもあえて言及し、「夏目漱石の鏡子さんもそうだが、文豪の妻というのは弟子たちによって『悪妻』というイメージをつけられることが多い。牧さんの話は胸が痛い」と嘆いた。 「

      • 【ふくろう通信13】開高道子と「モンパルナスの灯」

         エッセイストとして活躍した開高道子(1952~94年)は芥川賞作家・開高健と詩人・牧羊子の一人娘。世界中を食べ歩き、「新しい天体」「最後の晩餐」といった食の名作を残した父と、料理(とくに中華)が得意な母の影響を受け、道子自身も食への関心が強かった。多くの食エッセイを書き、イギリスの作家ジョン・フィッシャーの「アリスの国の不思議なお料理」を翻訳したこともある。この本はタイトルからもわかる通り、「不思議の国のアリス」に登場する不思議な食べ物のレシピを紹介した作品だ。「お飲みなさ

        • 【ふくろう通信12】「野火」の神とは何か

           戦争が身近になってしまった今、改めて戦争文学の名作として名高い大岡昇平の「野火」(新潮文庫)を読んだ。戦時中のフィリピン・レイテ島を舞台に、飢えに苦しむ一等兵が人肉食のタブー破りをかろうじて逃れる物語だ。極限状況におかれても、信じるものがあれば人間らしさを捨てなくてすむというメッセージを感じた。  主人公の田村一等兵は肺病持ちで中隊の食料集めに参加できず、厄介払いされる。一人でレイテ島をさまようなか、ふとしたはずみで現地女性を殺してしまう。やがてあちこちに横たわる死体に肉

        【ふくろう通信15】「沖で待つ」読書会

          【ふくろう通信11】ドイツ統一と「サイゴンのいちばん長い日」

           読売新聞の一面コラム「編集手帳」は、論説委員が書いている。その中のハノイ特派員経験者が担当したのだろう。5月7日のコラムは、産経新聞記者としてベトナム戦争を取材した近藤紘一(1940~86年)の著書「サイゴンのいちばん長い日」を引用して、<南北民族の真の和解の達成>が今なお果たせていない現状を指摘した。  ベトナム戦争は1975年4月30日、北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴンを陥落させて終わった。それから半世紀近くが過ぎても、敗れた南部の出身者がトップとなった例はない

          【ふくろう通信11】ドイツ統一と「サイゴンのいちばん長い日」

          【ふくろう通信10】牧羊子と「ダンス・ダンス・ダンス」

           村上春樹の長編「ダンス・ダンス・ダンス」(1988年)に、牧村拓(まきむら・ひらく)というキャラクターが登場する。主人公「僕」が北海道で出会った美少女ユキの父親でお金持ちの流行作家という役柄なのだが、その人物描写が(少なくとも村上の目に映った)開高健そのものなのだ。  <それほど背は高くないが、がっしりした体格のせいで実際よりは大男に見えた。><首はいささか太すぎた。もう少し首が細かったらスポーツマン・タイプに見えなくはなかったのだろうが、顎に直結するようなそのもったりと

          【ふくろう通信10】牧羊子と「ダンス・ダンス・ダンス」

          【ふくろう通信09】アスティと「失われた時を求めて」第1巻

           フランス文学研究者の間で最も人気があるのはプルーストの長編小説「失われた時を求めて」だそうだ。ネルヴァルの専門家が「優秀な学生はみんなプルーストに行ってしまう」とぼやくのを聞いたことがある。実際、立教大学で2017年10月から2年かけて行われた公開セミナー「新訳でプルーストを読破する」は、100人ほど入る教室が毎回ほぼ満席になっていた。 アイテムを手がかりに  きわめて解像度の高い描写、人間心理を巧みに腑分けする手並み、多彩な比喩……。魅力は多岐にわたり、何度読んでも新

          【ふくろう通信09】アスティと「失われた時を求めて」第1巻

          【ふくろう通信08】原りんりと「文学横浜」第55号

           同人誌「文学横浜」第55号の合評会が4月、横浜市中区で開かれた。掲載された11編の中で最も評価が高かったのは、自我の問題を骨太に描いた原りんりの短編小説「セルブズ」だった。 (あらすじ)  裕福な家庭で育った日向子は高校教師だが生徒指導が苦手。反抗的な生徒の言動をきっかけに自分の中にもう一人の粗野な人格が現れ、暴言を吐いて退職してしまう。日向子は二重人格になった原因は過保護で世間体を気にしてばかりの母親にあると思い、彼女が嫌がる海岸清掃員のアルバイトを始める。灼熱の江ノ島

          【ふくろう通信08】原りんりと「文学横浜」第55号

          【ふくろう通信07】米原万里と「亡き人へのレクイエム」

           プラハゆかりの日本人でもっとも有名なのは作家の米原万里(1950~2006年)だろう。小学3年生だった1959年、父親の仕事の都合で東京からプラハに移り、ロシア語で授業をするインターナショナルスクール「ソビエト学校」に入学。4年間を過ごした。 ロシア語のバイリンガルに  両親は当初、各国の共産党エリートの子弟が集うソビエト学校ではなく、チェコ人が通う地元校に入れるつもりだった。しかし、チェコ語を学んでも日本に帰国してしまうと書物が手に入りにくく、将来的に役立ちにくい。こ

          【ふくろう通信07】米原万里と「亡き人へのレクイエム」

          【ふくろう通信06】船田崇と「詩誌侃侃」

           九州の出版社「書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)」が刊行する同人誌「詩誌侃侃」のバックナンバーを入手した。長財布のような縦長の判型で100ページ前後。3月に出た最新号の38号には12人の同人が22編の現代詩と8本の散文を寄せている。同人の大半は九州在住だが、一人だけ千葉に住む詩人がいる。船田崇(ふなだ・たかし)という。  船田は1966年、北九州市生まれ。日本現代詩人会に所属し、これまでに5冊の詩集を出している。38号に載せた3編のうち「あめ色の時間」は夜行列車の旅を描く。

          【ふくろう通信06】船田崇と「詩誌侃侃」

          【ふくろう通信05】「変身」読書会

           2024年はチェコのドイツ語作家フランツ・カフカ(1883~1924年)が亡くなって100年となる節目の年。カフカの最も有名な短編「変身」をテーマに、西日暮里ブックアパートメントで読書会を開催しました。「カフカを読むと語りたくなる」と実感する2時間でした。 それぞれの立場を反映 (あらすじ) ある朝、セールスマンのグレゴール・ザムザは目を覚ますと自分が巨大な虫に変身していることに気づく。乗るはずだった列車はすでに駅を出てしまっている。ベッドから急いで出ようとするが体をう

          【ふくろう通信05】「変身」読書会

          【ふくろう通信04】大石静と「青い月曜日」

           紫式部の人生を描くNHK大河ドラマ「光る君へ」から目が離せない。低い身分の女性が陰謀渦巻く上流社会に飛び込み、恋に悩みながらも持ち前の才能で道を切り開いていく物語。脚本を担当する大石静の力量を改めて印象づけた。  大石は1951年、東京生まれ。当初は女優を志し、やがて「ラブストーリーの名手」と称される脚本家になったという経歴自体はことさら珍しくないが、特筆すべきは、開高健ら多くの文士が出入りする旅館の養女として育ったこと。たくまずして男女の機微を描くうえでの基礎教育になっ

          【ふくろう通信04】大石静と「青い月曜日」

          【ふくろう通信03】醍醐麻沙夫と「オーパ!」

           いま「アマゾン」と聞いて真っ先に思い浮かぶのはアメリカの巨大IT企業でしょう。しかし昭和の一時期は、作家・開高健(1930~1989年)の釣り紀行「オーパ!」シリーズでした。地球の反対側を流れる大河アマゾン。鋭い牙をむき出しにするピラニアのアップをあしらった「オーパ!」の表紙は、その獰猛なまでの生命力で読者に強烈な印象を与えました。半世紀近く前の作品にもかかわらず、今なお多くの釣り人に愛されています。  開高がアマゾンを旅するきっかけを作ったのはブラジル・サンパウロ在住の

          【ふくろう通信03】醍醐麻沙夫と「オーパ!」

          【ふくろう通信02】池内紀のこと

          11月25日はエッセイスト池内紀(いけうち・おさむ、1940~2019年)の誕生日です。池内書房が西日暮里ブックアパートメントで第1回「こんばんは読書会」を開いたのは2023年のこの日。池内が好んだ旅や読書、独語圏文化などについて語り合いました。 池内紀の本業はドイツ文学者。若い頃はウィーンに留学し、ユダヤ人作家など従来は主流と見られなかった文学を研究しました。カフカも主要テーマで、白水社からカフカ全集を個人訳で出しています。その後はゲーテ「ファウスト」といった独文学の王道

          【ふくろう通信02】池内紀のこと

          【ふくろう通信01】こんばんは読書会

          池内書房です。2024年3月23日(土)に第3回「こんばんは読書会」を西日暮里ブックアパートメントで開催しました。テーマはカフカの長編「審判」。参加者からは以下のような意見が出ました。 ・主人公ヨーゼフKの逮捕容疑は何か。刑事訴訟なので政治犯ではないだろう。銀行員だから横領か。最高刑が死刑になる経済犯はない。ユダヤ人であること自体が罪であるという暗示なら、その後のヒトラー政権の政策を予言していることになる。ただ、カフカ自身は容疑の具体的な中身を想定していなかったのではないか

          【ふくろう通信01】こんばんは読書会