「許せる人間に。」
映画・「ミーン・ストリート」を観た。
三流ヤクザのチャーリーと、その親友で金遣いが荒くフラフラしているジョニーボーイによる青春物語。
この映画を観て、
許せる人間になろう。
と改めて強く思った。
気分によって仕事をしたり、わずかな給料も酒や博打や女に使い果たして、借金に首が回らない状態になっているジョニーボーイをチャーリーはかばい続ける。
あまりにも生活がヒドすぎて、さすがにブチ切れるんだけど結局親友をかばうチャーリーは本当に魅力があふれるキャラクターだった。
多くの人は、
どんな人生を送っていきたいのか?
なりたいライフスタイルは?
等々、「理想」を持ちながら、そしてその理想を目指しながら生活していると思う。
俺も理想があるし、それに向かって色々挑戦しているところだ。
最近はそれに加えて、
どんな人間になりたいか?
という理想を考えている。
例えば、
お金を稼げる、モテる、優しい、明るい、ポジティブ
等々、こちらも人それぞれ理想があると思う。
俺は、
許せる人間になりたい
と思っている。
俺がいま生きているのは、周りに許せる人がいてくれたからだといっても過言ではない。
いままで様々なことに挑戦しているけど、当然どれも一人ではできなかったもの。
挑戦する舞台のアイディアを出す人がいて、実際に舞台を創る人がいて、応援してくれる人がいるから、挑戦ってできるものだと思っている。
そういう人たちがいてくれているおかげで挑戦してきたけど、
その中で何度も失敗してるし、
もっと言えば、絶対に失敗できないところで実力不足、配慮の無さから、
ありえないような失敗もしたことある。
そんな時に、周りの人の器のデカさ、ふところの深さ、心の暖かさに助けられてきた。
大きな失敗を笑って許してくれることが、どれだけ救われることかを体感レベルで学んだ。
そういう許せる人たちに救われてきたから俺も許せる人間になろうと思っている。
チャーリーは許すというよりかばうという描写を多く映していたけど、
そもそも、許せないとかばうことなんてできないでしょ。
だから、チャーリーも許せる人間なんだ。
これはガンジーの言葉。
別に俺は強くなろうとは思っていないけど、この言葉を聞いて
許せない人ってずっと過去に生きてしまう人なんだなと思った。
未来に向かって生きているはずなのに、許せず過去に生きてしまったら、
視野も広がらないし、多様性もないままなわけで、
成長もクソもない。
匿名性が高くて言いたい放題なSNSをみても、
許せない人が多すぎるんじゃないかと思うんだよね。
っていうか、過去の失敗を取り返そうと未来に向かって生きる人に対して、
過去のレッテルを張り続けるってどうなのかなと感じる。
たしかに、本当に失敗を取り返そうとしているのかわからないかもしれないけど、他人が揚げ足を取って意味があるのか疑問だ。
それに、揚げ足取りのほぼ100%は全く関係のない赤の他人でしょ。
過去の延長線上で生きてたら人生は変わらない。
許すことが、過去を断ち切って未来を生きることなんだ。
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