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「自分で考えろ」

言葉の意味を履き違えているから「ズレ」るんだよな。

例えば、

淡々とやることと、

何も考えずだらだらボケーッととりあえず続けることは違う。

人を信頼することと、

何も考えずボケーッととりあえず口を開けてエサを待つみたいに人を当てにすることは違う。

多様性と、

何も考えず前提も礼儀もシカトするガンガン行くノリのなんでもアリは違う。

スコトーマって言葉があるように、

脳は世界を見たいようにしか見ない。

知らないもの、見たくないものは視界に入らないんだ。

自分の良いように情報を受け取るから言葉の意味を履き違えて、

「ズレ」という永遠に目的地に到達できない現象が生じる。

だから「ズレ」ないためにフラットに色んな角度から見るんだ。


そして、

読解力の無さ+言葉の知ら無さ=思考判断能力の無さ=世界の狭さだ。


最近読んだ本に書いてあったけど、

俺たちの世界はコンピューターの発達によって、

どんどん考えなくさせられているんだ。

ネット上の活動を全て記録され、誰にフォローし、誰がフォロワーにいて、何にイイねを押しているのか。

このデータを徹底的に取って、自分のバックボーンと行動を正確に予測し、

更に自分が自覚していない点まで読まれている。

何気なく表示されているおすすめユーザーやおすすめ商品が良い例で、

何で自分の好みがわかるんだろうかと思ったことがある人は多いんじゃないかな。

それくらい既に何も考えない人間を作る活動が浸透してるってこと。

判断が難しい状況ではコンピューターに頼ったほうが痛みが少ないし確かにいいかも知れない。

でも、人間としてのモラルや政治でもコンピューターに判断を委ねちゃダメだ。

そんなのもはや人間でも政治でも何でもないだろう。


今生きている世界は、

巨大な技術独占によって俺たちには気付かないようなレベルで思考判断能力や自由な発想を奪われ、政治経済だけじゃなく常識や理念も乗っ取ってきている。

これを理解したら、

言葉・読解力・考えることの重要性がよくわかる。


俺は、何も考えない=死んでいると思っている。

電車乗って周りを見ただけでも、

死んだように生きている人間は多いんじゃないか。

でも、独占している奴らはこれが狙いなんだ。


生きていておいて、死んだようなことやってるんじゃねーぞ。

考えろ。煽られても流されるな。考えろ。



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