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「クリエイティブに邪魔なもの。」


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では、本題。



糸井重里著・「インターネット的」を読んだ。

2001年に出版されたこの本は、SNS全盛の現代を予言していることで有名な本。

インターネットができたことで、インターネット的な世界になった。

それは一体どんな世界で、どんな可能性があるのか?

改めて知ることができ、それだけじゃなく、普段あまり意識していない部分も知ることができる良書。

よくある「インターネットは儲かるぞ!」といった内容じゃなく、

「インターネットをどんなふうに使っていくのか?」

といったことについて書かれている本だから良いんだよね。



この本でとくに印象的だったのは、消費のクリエイティブについて。

著者は2001年の段階で(もっと前からかもしれないけど)、これからの時代はクリエイティブさがかなり重要だと思っていた。

それは、

面白い・独特な・好奇心が刺激されるようなクリエイティブなものを生み出すことが大切だ。という生産者の立場だけじゃなく、

消費者側もクリエイティブにならないといけないということ。

なぜなら、生産は消費がないかぎりできないからだ。

もちろん、消費も生産がないとできないわけで、つまりセットになっているんだ。

だから、クリエイティブを磨くには・そのチカラを発揮するには消費もクリエイティブにしないといけない。



じゃあ、消費のクリエイティブとはなにか?

簡単にいえば、

遊び上手になれ。
休みを楽しんで過ごせ。

ということ。

それは、役に立つとか、立たないとか、そういう観点でみないこと。

ムダと思われようが、変人と思われようが、

それを行うことが消費にクリエイティブということ。


ただ、消費にどれだけクリエイティブになれるか?というのは意外と難しい。

だって、クリエイティブなものを生産するレベルで、もしくはそれ以上で消費を考える必要があるんだからね。

それに、そんな練習はしてこなかった人が大半でしょ。

お金の使い方が高級車とか、タワマンとか、それでもいいんだけど、

それだけじゃ消費のクリエイティブは育たないんだよね。



それに、消費のクリエイティブを育ちにくくしているものがある。

著者は、

「ひとつのものを肯定したり賞賛したりするために、他のものを並列的に例にひいて、そちらを否定する」ということが、ぼくが言っている「消費のクリエイティブ」を、育ちにくくしているのではないか。

と言っていた。

これって、つまり嫉妬だよね。

”自分が良いと思ったモノを肯定したいがために、他のモノを並べて否定する”

こんなことをするのは、嫉妬しているからだし、なんでも優劣をつける思考はクリエイティブにとって邪魔なものなんだ。


敵のアラを見つけたり、勝っている部分を見つけたら、優れているような気がする。
だけどそれを止めることが、
ほんとうに「消費のクリエイティブ」を成熟させることになるし、
結果的にクリエイティブなものを生産できるようになるんじゃないか。

とも言っていたけどまさにそのとおりだし、俺も気をつけなきゃいけないと思った。

他の何かがダメだからって、別に自分の「良い」が肯定されているわけじゃないんだよね。

自分の「良い」→他と比較→他を否定→自分の「良い」を肯定

ってたしかに便利なんだけど、それをないことにするのが消費のクリエイティブの練習でもあるんだ。


良いと思ったら良いんだよ。

他とかどうでもいい。

比較・嫉妬している時点でそれは全然クリエイティブじゃない。

そしてクリエイティブにはなれない。


嫉妬するな。

他と比べるな。

消費にクリエイティブになろう。


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