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「倣うな創れ。」
高根正昭著・「創造の方法学」を読んだ。
始めて方法学に触れてみて
哲学の様な理解が難しい内容もあったけど
情報過多な時代に必要なことは
「何を知るか」
より
「いかにして知るか」
という基本的方法の学習が必要と書かれていて
結構前に出版された本ではあるけど現代にも通じるアドバイスがいくつかあり、面白い視点が多く読みやすかった。
それに、著者の体験を通じて書かれたアメリカと日本との教育の差も読めて良かった。
中でも印象的だった内容がアメリカの幼稚園での工作についてだ。
アメリカでは教師や両親が手本を示してはいけないという原則がある。
これは、手本を示してしまうとそれを模倣してしまい自己の大切な創造力を奪ってしまうからと考えられているからだ。
だから、アメリカの幼稚園での工作では
クレヨンの使い方、粘土のこね方、絵の具の混ぜ方は
技術としては教えるけど模倣させるようなことはしないそうだ。
幼稚園の時から他人を模倣するのではなく
自分のイメージを創造することをしていれば
それが基本的で自然な思考となり態度となる。
その思考と態度がアメリカ社会の一般にもなり
結果的に
個人の学者が固有の意見を創造するアメリカの学界と
それができる学者が少ない日本の学界との
差にも繋がっているという。
何度も(最近も)投稿したことがあるけど、
日本があまり良い方向にいかない理由は
様々な問題点がありすぎるから一言では言えないけど
間違いなく教育問題は挙げられる。
ほんと、日本の答え合わせ教育って悪いことばかりだ。
この教育で刷り込まれた思考が
どれほど創造力と想像力を奪っているだろうか。
上述したようにアメリカは
技術として多少は教えるけど自分でしっかり考えて創造させる教育だ。
対して日本の答え合わせ教育というのは
教師が創って示したものが正解だからそれの通りに作らせる教育だ。
この2つの大きな違いは
自分の考えや意見を持っているかどうかだ。
例えば、
アメリカの教育を受けて工作をした人は創ったものに対して多少なりとも自分の意見を持っている。
というか、創ったもの=自分の意見だ。
でも、日本の教育を受けて工作した人はほとんど自分の考えや意見を持っていない。
創った理由を尋ねられれば
「だって先生がそれを創れって言ったから。それが正しいと教えられたから。」
と答えるだろう。
つまり、日本の答え合わせ教育を受け続けると
誰かの言葉で語る人間が創られてしまうんだ。
そして、自分の人生なのに誰かの人生を生きてしまう。
良い学校を出て、良い会社に就職して、結婚して、子どもを作って、マイホームを買って、マイカーを買う。
それが幸せだと思っている・正しいと思っている馬鹿な奴らは全員他人の人生を送っている。
ただ、模倣することは全てが悪くはない。
というか、しっかり模倣できれば人生なんて楽勝だ。
だって、世の成功者とかお金持ちの模倣をできれば良いんだからね。
でも、俺みたいな凡人にはできないでしょ。
模倣が出来ないのに思考も言葉も誰かの模倣をしているっておかしいんだよね。
だから、模倣なんてする必要はないんだ。
自分で感じて考えて出てきた意見を大事にするんだ。
それを創造するんだ。
それが自分の人生だ。