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「クソ意見をごまかすな。」


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では、本題。


寺山修司著・「家出のすすめ」を再読した。

家出をすることによってはじめて「家」の意味を知り、自分を客観的に見れることができる。

そして、自分の人生をつくりあげることができる。

やくざになるのも、歌手になるのも、スポーツ選手になるのも、まずは家を出ることから。


つまり自分が何者かになるには家出から始まる


家出をし、自分の人生をつくりあげることを推奨したこの本は、新たな世界を踏み出す多くの人に勇気を与える一冊だ。

とくに若者に向けて書いているから、若者は必読。



この本の中で

”「親のため」とか「〇〇のために」という考え方は自分をごまかす理由になる場合が多い”


と書いてあって超納得した。

「〇〇のために」という自己犠牲精神の意見は、一見良いように思えるし良い印象も与えるかもしれない。

でも、本当に良い意見か?

たとえば、アナタが「アナタのために」と言われたらどう思うか?

親が「アナタのために」という理由で口うるさくアナタを注意してきたとき、どう思ったか?

おそらく、「うるせー」「ウザい」「関係ないだろ」と思っただろう。

自分が「〇〇のために」を使うときも、これとまったく同じなんだよね。

つまり〇〇は自分のことを「うるせー」「ウザい」「関係ないだろ」と思っているということ。

そう、ハッキリいって〇〇側からすれば「〇〇のために」という意見は迷惑でしかない。ウザさしかないんだ。


「〇〇のために」なんてただのエゴイズムなんだ。



じゃあなんで「〇〇のために」のような意見を多くの人が使うのか?

それは、自分の意見を正当化したいからだ。

エゴだろうが関係なく、自己犠牲精神にあふれた善いことだと思い込み正当化させたいから「〇〇のために」を連発するんだ。

「〇〇のために」は自分のエゴを正当化させたいがためのクソ意見だ。

「〇〇のために」はウソだ。



ただ、本当に自己犠牲精神をもって「〇〇のために」と活動している人はいる。

だからウソかどうかを見極める必要がある。

その見極め方はカンタンで、


「〇〇のために」と言っているくせに、大して努力していなかったり、まったく結果が出ていなかったらウソだ。

そんなに「〇〇のために」と思うならもっと死ぬ気でやれよ、誰よりも結果だせよ、カスみたいな現状にヘラヘラしてんなよ、って思うんだよね。

だいたいの「〇〇のために」はウソばかり。

「〇〇のために」を自分の印象を上げるためだけに使っているヤツほどダサいヤツはいない。

なんでそんな自分の印象を気にしているのか。



じゃあウソだとわかったら、今やっていることは何のためなのか?


それは自分のためだ。それしかないだろう。

多くの人は、「〇〇のために」という意見をもちナゼか勝手に枠に収まる。

思考も、視野も、制限をかけてしまう。

そうじゃなくて、もっと自分自分でいいんじゃないか。

もっと自分がやりたいようにやっていいんじゃないか。

「やりたいからやる」
「自分のためにやる」


っていうシンプルで素直な考えでいいんじゃないか。

こっちも確かにエゴイズムだ。

だけど、ごまかしたりウソをついてはいない。

そこが重要なんだ。



「〇〇のために」を使った瞬間、意味不明なごまかし・ウソ・制限に支配されてしまう。

もちろん「親のために」とかもね。

だから、家出をして意味不明なものぜんぶ取っ払うんだ。

今いる環境から飛び出すんだ。

ゼロになって、むしろマイナスくらいになって、自分の人生をもう一度作り上げるんだ。

そうれば何が大切か?がみえてくるし、「〇〇のために」がエゴを正当化させるためのクソ意見だったと気が付くだろう。


ウソつくな。

ごまかすな。

一回ゼロになれ。


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