「歴史的特権行為。」
今日も、「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」から。
エーコとカリエールは歴史を紐解けば書物というものが神聖視されてきたことがわかると言う。
キリスト教は聖書という書物を作ったことで爆発的に信者を増やすことに成功したし、
独裁者は書物を燃やす(いわゆる焚書する)ことで人々の思想を強制的にコントロールしてきた。
他にも歴史を辿れば書物は魔除けとして使われたり、妖術の道具としても使われていた。
二人が語ったように書物は神聖視されたことで、人々に希望を与えることもあれば争いを生むキッカケにもなったんだ。
じゃあ、書物が神聖視されてきたということはつまりどういうことなのか?
それは、「書いて読む」とうい行為が文明の歴史の中で、それだけ重要性を獲得し維持してきた証だと言う。
読み書きが出来るという特権は、一握りの人々に独占され、その人々はそこから並外れた特権を引き出してきたんだ。
現代の人々は学校教育によって小さい時から読み書きを教えられ出来るようになっているけど、
今当たり前のように出来ている読み書きは、歴史的な特権行為で実はとんでもない凄いことなんだ。
読み書きが出来る人は権力を握り、読み書きができない人は支配される側になる。
歴史を辿るとそのことがわかるけど、
これは現代にも通じる普遍的なことだ。
ただ現代は少し違くて、
読み書きが出来ても権力は握れないかもしれないけど他人に支配はされないと言った感じ。
つまりもっと簡潔に書けば、
現代は読み書きが出来れば自分の人生を歩め、
読み書きができないと他人の人生を歩むことになるということ。
文字を読めないということは、
文字(言葉)で表現されていることを想像できないということ。
だから当然想像力や発想力はつかないし、物事を考える思考判断力だってつかない。
書くことが出来ない(言葉を言語化して表現出来ない)ということは、
自分が表現したいことを表現できないということ。
少ない言葉の世界でしか生きられないと、生きる選択肢が少なくなるし精神的にも余裕がなくなり結果的に窮屈な人生になってしまう。
読み書きができないマイナスを書いたけど、読み書きができるメリットはその逆。
つまり、読み書きが出来れば想像力・発想力・思考判断力・言語化能力・集中力が付く。
物事に対して広く深く考えることが出来るようになるんだよね。
これは何回か書いたことがあるけど、
世界は言葉で出来ているんだ。
だから、言葉を読み解ける、言葉を扱える人間が勝つに決まっている。
読み書きが出来るということは豊かさを生むんだ。
今は映像の時代とも言われているけど、どんな時代になっても勝つ人間は言葉を磨いている人間だ。
だから、何か結果を出したいとか今よりもっと良い人生にしたいと思ったら言葉を磨くことだ。
「絶対稼げるスキル!」なんて謳われているセンスの欠片もない情弱向けのワードや言説に惑わされたらいけない。
というか、それに惑わされている=他人の言葉で支配されていると思ったほうが良い。
で、言葉を磨くと言ってもやるべきことは単純に読み書きだ。
SNSでどこの誰が言っているかもわからない垂れ流されている言葉を眺めるんじゃなくて、本を読む。
そして、その本の感想でも何でも良いからアウトプットして言語化する。
映像の時代、読書人口が少ない時代、なんだから尚更読み書きをして言葉を磨くべきだ。