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つまようじエッセイ

突然だけど、つまようじの話をする。



私があのこたちを捨てないようにしたのは、いつからだったか。


箸袋に大体の確率で入っているあのこ。最近では要らない子扱いされて、そもそも入っていないなんてこともある。


私もかつては捨てる派だった。でも、なんか急に勿体ないな、と思うようになった。結婚して実家を出てから、自然と節約意識が芽生えたからだろうか。でもその矛先がつまようじって。節電とか節水とかほかにいくらでもあるだろうと我ながら思う。

ただ、箸袋の中のつまようじをわざわざとっておくのって、なんか抵抗がある。捨てられない女がここいにますよと自ら宣言しているようなものじゃんか。(まあその通りですけど)

コツは、スマートにさり気なく。いつもの会社ランチ。同期とのたわいないお喋りに乗じて、箸袋から箸を取り出した流れでそのままサブバッグにIN。この一連の動きを習得したら、もう周りの目も気にならない。そうやって毎日繰り返すうちに、わたしのサブバッグには、自分でも軽く引くくらいの大量のつまようじin箸袋が。(継続は力なりである)それをぐわしとまとめて掴み、通勤バッグにおもむろに入れて我が家に持ち帰る。そして、850本入りつまようじたち(100均で購入)の中に、持って帰ってきた新入りをつんつんと押し込んで、仲間入りさせるのである。

今日からここがお前のうちだよ、と言ったか言わないかはさておき、はし袋のつまようじたちは、100均のそれよりも、ちょっと背が低いのがかわいい。

皇帝にでもなった気分だった。わたしは捨てられる運命にあったこのこに、情けをかけたのだ。これからはお前たちを、煮物の火の通りの確認とか、フルーツ食べるのに遣わそう。


これでしばらく我が家のつまようじ情勢も安泰だ。おかげさまで、この私の積年の尽力により、ここ最近つまようじに困ったことはないのである。



こんな些細なことが日常になりかけていたある朝、ある奇跡に出会った。

通勤ラッシュの新宿駅で、前を急ぐ女性の鞄から、何かが落ちた。

拾おうとしたその瞬間、「これは」と思った。何か落としたことに自分で気がついた彼女は、私に拾われる前に急いで落ちたものを拾った。そして、逃げるように去っていったのである。

その瞬間、わたしは見逃さなかった。

彼女が落としたもの。あれは、つまようじだった。しかも、はし袋に入ってた。つまようじinはし袋。あの人は、私と同じ。


あの人は、わたしだ。


でも、彼女、ちょっと恥ずかしげだった。無理もない。私も同じ立場であれを落としていたら…めちゃめちゃ恥ずかしいわけではないけど、よくよく思い返してちょっと恥ずかしい。

でも、彼女は幸運だった。なぜなら、目撃者がわたしだったから。



私は、あなたの同志。

だから、恥ずかしがらないで。



遠のく彼女の背中に語りかけた。でも、この言葉は届かない。

ああ、心に直接語りかけたい。テレパシーでも使えたらいいのに。

このとき、私は初めて自分に超能力がないことを悔やんだ。



そうして、伝えられない思いがまた一つ、増えてしまった。

年々そうだ。伝えられない思いばかりが増えていって、読まない本みたいに溜まっていく。捨てられないし、捨てたくないのだ。彼女に伝えられなかったこの気持ちもまた、つまようじと同じ。些細なことでも捨てたくない。

だから、私はここに記しておく。それが私の、文章を書く理由なのかもしれない。

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