言い訳と自省

「後でやろうと思ってました。」

この言い訳に無性にイラつきを覚えつつ、単純にこのタスクにおける最終ゴールと私が確認する意図を伝えておけば、「もっとスムーズに」かつ「誰もイラつかず」遂行できたのかもしれない…。
と気づき、さらにイラつきを覚える。言い訳は誰も幸せにしない。

高校時代はメンバーが「でも~」で始める話をしようものなら「は?({何言い訳しようとしてんの?ぶち〇すぞ}って顔)」で済んだけど、今自分の立場でそれをしようものなら何一つ改善しない。

そこでようやく、ようやく私は考える、なんのために確認するのか。
相手が勝間和代だったら「だめだこりゃ」の烙印押されるだろうな。

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ここまでは言い訳をされた人の立場で考えてきたが、ここからは話を変えて、”言い訳する立場”の人間になってみよう。

言い訳をしてしまう時、それは、「相手の指摘によって自身が棄損されそうになったとき」だと考える。相手に○○ができない奴と思われないように反射的にいってしまうのだろう。

また「その点は考えてましたよ、一応ね」のスタンスを相手に取らせない伝え方などあるのかと考える。現状思い浮かばない。
つまるところ、素直さを欠くやつが悪い…のか、はたまたそのスタンスを取らせてしまう心理的安全性の低さが悪いのか...。わかっていることは言い訳は不快だ。

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言い訳をされたときは、自分の伝え方を疑い、
言い訳をしそうになったときは素直に非を認め、また1つ学びを得たと伝える。

他人のふり見て我が身を直せ、だな

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