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Angela(アンジェラ)4

「あんなにストレスためていつも怒ったり、マンマを脅すようなことを言いながら世話をするぐらいなら、私だったらとっくに家を出ている。その方がお互いのためじゃない」

私はルチアに乱暴なセリフを吐いたことがある。ルチアは週に1度は手料理のおすそ分けを持ってマンマの顔を見にゆく。明るくて優しいルチアをマンマは気に入っていて、なにかというとルチアの名前が出てくる。

「誰もそんなことはアンジェラに言えないわよ。だって誰もアンジェラがやっていることを替わってあげられないんだから」

ルチアなら分かってくれると、いきり立って言う私を、ルチアはそう諭した。

あんなに食卓では言いたい放題家族と喧嘩をするあけっぴろげのルチアでも、言ってはいけない一線があるのだと思った。

その年の秋、ミラノに戻った私は、バーリから遊びに来たジーノの甥っ子たちとみんなでご飯を食べていた。私たちが一緒に過ごしていると知ってのことだろう、甥っ子の携帯にアンジェラからメッセージが入った。

「“マンマを殺したとマリコに伝えて”...だって」

甥っ子の言葉を聞いて、私はどう返事をしたのだろう。なぜだか全く思いだせないのだ。気が動転していたのかもしれない。

あまりに悪い冗談だと思ったので、怒って私はそのままアンジェラからの伝言を無視した。

アンジェラは、もしかしたら、行きすぎてしまう自分の怒りにブレーキをかけて欲しくて私にSOSを出したのかもしれない、いや、全く逆に

「マンマを脅すなんて良くない」

と部外者のくせに決めつける私の奢った態度に反発したかったのかもしれない。
そのあとも、アンジェラとクリスマスの挨拶を電話で交わしたり、夏休みをマンマのアパートで過ごしたりしたが、どういうつもりであんなメッセージを送ったのか、今となっては問いただすこともできず、たとえ聞いても、

「そんなこと言った覚えないわよ」

と言われてしまいそうで、また、もしかしたら、あれは私の白日夢で、本当はそんなことはなかったのではないかとさえ思うこともあるのだ。

昨年マンマは98歳になった。

私たちは冬休みもバーリで過ごすことにした。居間には大きなクリスマスツリーが飾ってあった。ブルーを基調にしたシックなデコレーションだった。マンマの寝室のタンスの上にも小さなクリスマスツリーが飾ってあったが、こちらは子供のツリーみたいに赤いリボンやにぎやかな飾りがついていた。

各部屋に電飾が飾られ、キャンドルやクリスマスの時期だけ登場するサンタや天使の置物が飾られていた。思えばクリスマスをマンマの家で迎えるのは初めてだった。

毎年、アンジェラはこのツリーを出し、また片付け、そんなことを繰り返しているうちにマンマに代わってこの家の主になりつつあるのかもしれない。

なんの話からそうなったのか、

「一人になったら、親戚の〇〇と〇〇は絶対この家には入れない」

とアンジェラが言った。確かにその〇〇と〇〇は、アンジェラとは反りが合わないだろうなと少し可笑しくなった。

「それから、大きな犬を飼って好きに暮らすの」

「へえ」

と意外に思ったが、

「そうか、あの貯蔵庫にひっそり置いてあったヒールの高いキラキラした靴も、犬を飼うのと同じように、アンジェラの"いつか"の一つなのかもしれない」

と気づいた。

「マリコ、マンマにご飯食べさせられる?」

「マンマにこの薬飲ませてあげてくれる?苦いから、飲み終えたらチョコをひとかけらあげてね」

そんな風にアンジェラは少しずつ私にも用事を言いつけてくれるようになった。

そういえば、アンジェラの自分の城である台所の冷蔵庫には、色んな人が土産に持ち帰った世界各地のマグネットに交じって、着物柄のマグネットがずっとつけてある。タオルかけには和柄のガーゼ手ぬぐいが下がっている。舞妓さんの顔の切り絵がついた箱は飴が入っていたもので、飴を食べ終えた後も大事に小物入れに使っている。

イタリアの暮らしにはちぐはぐかもしれない私があげた土産ものたちを、後生大事にアンジェラは使い続けてくれている。

舞妓さんの横には、例のマンマにあげたはずの白い陶器の小物入れがおいてあるが、私はむしろアンジェラが気に入って使ってくれているのだとしたらよかったと、今では思えるのだ。

前みたいに威勢のいいマンマはもういない。それでも時々薬を飲むのを嫌がって、アンジェラが怒って部屋を出てしまうと、マンマは肩をすくめて私に目配せする。アンジェラを責めるのではなく

「よくやってくれるんだけどね」

と言いたそうな感じがした。

アンジェラがトランクを持って家出の真似事をするようなことはもうないが、マンマはアンジェラの姿が見えないと、時々子供のように泣きじゃくることがあった。


相変わらず家のことはアンジェラが全部仕切り、下手に手を出すと

「Io so cosa devo fare」

と怒られてしまう。だが帰り際、

「私、こんな性格だから。でもいつか私がミラノに遊びに行ったら、マリコが好きにして。その時は私がお客さんになって、何にもしないからね」

とアンジェラは言い、私たちはハグをして別れた。

バーリから一歩も出たことのないアンジェラが、本当にミラノに来るつもりがあるのかはわからない。

今だって数日マンマの世話を誰かに任せて息抜きにがてら遊びに来たらいいのにと言いたいが、一晩マンマを私に任せた翌朝、ベッドサイドでコーヒーカップをもって立っていたアンジェラの困ったような顔が浮かび、そんなことはできないのだろうな、と思う。

これを書いていて、ふと当たり前のことに気付き、腑に落ちた。アンジェラという名前はエンジェル、天使である。                                 ( 4/4 おわり)

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