Angela(アンジェラ)3
Angela(アンジェラ)3
時間が止まる、といえば、マンマの時間も十年前、アンジェラの妹フランカが寝たきりの病にかかってからずっと止まっているようだった。
マンマがベッドから動けなくなる前から、私はマンマが外出したのを見たことがなかった。夏の滞在の間、ジーノは兄弟みんなを誘ってレストランで賑やかに食事をする。だがマンマを誘っても来たことがなかった。
ある時からマンマは娘の病室を訪ねることをしなくなったという。七階にあるマンマのアパートにはエレベーターがついていない。
「足腰が弱って階段の上り下りができないから見舞いにいけない」
とマンマは言ったらしいが、ジーノは
「マンマが行くとフランカが泣いてしまうから、それが辛くて、階段を言い訳に、いつからか行かなくなったんだ」
と言っていた。
ミラノから私たちが電話をして
「マンマ、元気?調子はどう?」
と声をかけると、いつも最初にかえってくるのは
「そうだね、やっぱりあの娘のことがあるからね」
という言葉だった。
フランカが寝たきりになってから、マンマは子供たちとの外食だけでなく、お祝いのパーティーなど、晴れの席にも全く参加しなくなった。
それがマンマの静かな祈りのようなものなのか、フランカに会わなくてもマンマの心はいつもフランカに寄り添っていた。
一方でアンジェラのことが気になった。私はアンジェラへの労いの言葉をマンマから聞いたことがなかった。
「もしかしたらアンジェラは、フランカの事ばかり思っているマンマに、自分を見てくれない苛立ちをぶつけて仕返ししているのか」
と私は勝手に推測したりもした。たった年に一週間同じ家で過ごすだけで、何がわかるといえばそれまでだし、アンジェラがマンマに厳しくあたる理由をみつけて少しでも納得したかっただけかもしれない。
だが普段のマンマは寂しそうな様子はなく、辛辣なことを言う割にどこかで冗談ともとれるようなお茶目さがある人だった。そしてとてもおしゃれだった。
寝たきりになってもマンマはいつも身ぎれいにしていて、金の留め金に、ある時は青、ある時は緑など色違いのガラスをつかったイヤリングをしていた。首にしゃれたスカーフを巻いていることもあった。
そういえば、バーリに行くとき私は親戚の女性全員に、小さな手土産を持参する。手ぬぐいや、扇子、マグネットなどのこまごました和小物をバッと広げて、好きに選んでもらう。
イタリアではクリスマスや誕生日など、電話をかけあい、贈り物をしあうのだが、元来無精者の私はどうもそれが苦手で、毎年ともなると、夏のお土産もワンパターンで底をついてくる。正直、心のこもったというより、心ここにあらずのお土産になっていたかもしれない。
ある年、マンマが毎日付け替えるあのきれいなイヤリングを入れるのに丁度いいと、白い蓋つきで、繊細な花が描かれている陶器の小物入れをお土産にしたことがある。これは自分でも内心ヒットだと思っていた。
だがしばらくして、マンマの寝室のタンスの上に置いてあったその小物入れが、キッチンの食器棚に移されていて、そっと蓋をあけたらアンジェラの小物入れになっていた時は、ちょっとびっくりした。何も言わなかったが、せっかくマンマにあげたのに、とどこかで不服な気持ちが頭をもたげていた。
ある日、疲れがピークに達したのか、アンジェラの癇癪が爆発した。
マンマも昔のように怒鳴り返す元気はなくなってきたものの、言わせてばかりはいない。その夜は珍しく、二人が大喧嘩になった。
アンジェラが部屋を出てゆくと、私はどうしたものかと、とにかくマンマのベッドの縁に腰をかけていた。しばらくそうして傍にいると、少し落ち着いたマンマが、アンジェラがいつも寝ている場所を掌でポンポンと叩いた。隣に寝なさいな、というのだ。
もうパジャマに着替えていた私はそのまま、マンマと同じベッドで一晩眠った。マンマは一度も目を覚ますことなく、私もぐっすりと眠ってしまった。気がつくと、いつの間にか朝になっていて、私の枕元にアンジェラが立っていた。
「コーヒーいれたけど」
エスプレッソのカップを差し出したアンジェラはなんだかきまり悪そうにも、照れくさそうにも見えた。
居間のソファで一晩眠ったアンジェラは、その日一日マンマにとても穏やかに接していた。 ( 3/4 つづく)
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