未経験から始めたセメント試験業務
おはようございます。
池田諭史です。
今回は #私の仕事 ということで、過去に経験したセメント業界での仕事のお話をします。
1.未経験からの研究職
当時不動産業界の営業事務を1年勤め、契約終了となった為別の仕事をさがしていたところ、登録していた派遣会社の担当者から仕事を紹介される。
主な業務内容は研究、試験業務。
経験どころか学生時代ですら専門でやったことがない自分にできるのですかとさすがに担当者に質問をしました。
基本試験は機械で自動で行うのと、計算式は社員さんが組むので基本作業と補助だけでよいので学歴、経験なくても大丈夫です。
と笑顔で言われ、それならと思い、面接を受け無事契約を結ぶ。
あの笑顔とトークに騙されたなとわかったのは仕事を始めてからでした。
2.実質やっていることは
やることは、工事現場で使うセメントの量を計算したデータを業者に提出しその分のセメントを購入していただくという流れ。
工事現場だと重機などを入れる際、足場が脆いと重機が倒れたりして危ないので地盤固めを先にする必要があります。
ただ現場の土だけだと、強度が足りないのでセメントを使うのです。
この職場に来て知ったことは、セメントだけだと高額になる上に強度が高すぎるのは良くないこと。
硬くなるならいいのではと思っていたが、セメントが硬すぎると工事が終わった後に元に戻すのに時間がかかるというデメリットもあることを知りました。
なので現場にある土とセメントを混ぜて化学反応で強度を出す。
これにより少ないセメント量で現場を適切な強度で硬めることができ予算を低く抑えることができるのです。
また土地によって水分が多い土、少ない土、粘土土、砂利が多い土等があり種類、質が違うので、その土にあったセメントを見つける必要があります。
そのために現場から土が送られてきてそれを元に試験体を作成し、一定期間がきたら機械で圧をかけて測定をし、出た数値から強度を予測してExcelに資料を作成する。
思わずへえ~と思うことばかりでした。
そして1で担当者から説明を受けた補助とはなんなのかと言いますと、研究と試験の為に毎日現場から最低20kgから現場の大きさによっては100kg以上の土が送られてくる。
それを試験場に持ち運ぶための”補助”ということなのです。
職場の方々の年齢層が一人覗いて全員50代というのもあり力仕事が厳しいから若手が必要とのことでした。
この時は本当騙されたなと思いましたが、すぐ辞めて無職はまずいと思ったので働き続けました。
3.とんでもねえ上司たち
試験業務というのもあり、少数精鋭というか自分含め5人しかいない職場でした。
もちろん男オンリー、社内恋愛等一切期待できません。
入ってすぐ一人が別部署に異動、途中で本社から研修で来た若手と社員登用試験を兼ねた人、僕の後任の若い子一人と基本そこまで入れ替わりがありませんでした。
常時いた3人の上司の癖がまあすごかった。
一人は奥さん、娘を大事にしている方で普段飄々とした感じなのですが、怒らせると竹中直人さんばりの笑顔で怒るという方。
もう一人はスクーターで横浜から東京に通うおじいちゃん。
普段は優しい方でしたが、その分怒った時の切れ具合が狂人というか一番やばかった。
そしてそのチームをまとめるボス、所長が一番あかん人でした。
単身赴任で本社のある山口県から来ている方で、優秀なのは間違いなかったですが、常に怒りマークがある方。
いつ爆発するかわからない、常に怒鳴っている人でごくまれに優しさをみせるまさに比率で言うと1:99、アメとムチのムチが多すぎな人。
閉鎖的な空間にいると自分の態度がおかしいということに気づかない、指摘してくれる上の者がいないとどの職場も共通しているなと感じました。
そして自分が話したことが理解できずに質問をすると10倍返しで来る。
わからなければ聞けというのに聞いたら怒るという典型的な人でしたね。
空気が悪いからたまに単身赴任の特権で月一で山口県に帰省する週があるので帰った後のほうが職場の雰囲気が良かったですね。
仕事が優秀で、お子さんがいようが、常にご機嫌伺わないといけない上司なんて、態度的に上司の器ではないなと思いました。
4.悔しい結果とむずかゆい別れ
そんな所長は散々怒鳴ってはくるが、ちゃんと頑張っていることは認めてくれていたらしく、派遣の契約が3年満期近くになった時に正社員登用の話を上に推薦してくれていました。
所長の上司にあたる部長も承認、人事もOKとなりあとは待つだけだったのですが、最後の最後で破断となりました。
理由は社長の鶴の一声。
当時、グループ会社全体でその年が赤字となってしまい、縮小を余儀なくされた関係で中途採用に関して、こんな時期にできるかという一言で終わったとのことです。
なお自分がいた職場は数少ない黒字を出していた部署でした。
新卒は通常通り取るのに3年近く働いた人は取らないんだと現実を見せつけられた瞬間でした。
結局、派遣の更新も派遣の制度が変わり3年経ったら正社員登用というのが義務ではなくなったのもあり、ならせめて給与上がりませんかと交渉したがダメでした。
これ以上いても時間の無駄だなと思い、全部の有給を使って就活しようとしたらまさかの所長が忙しくなるから有給を使うなと言い出してきた。
いまならパワハラで訴えたら勝てるなと思うが当時はそういう発想がなかった時代ですので、最後の最後で揉めに揉めました。
こちらは次を探したいのに会社休めないと面接にいけないからと説明しても頑固一徹、譲歩しようとしない。
試験のスケジュールを見ても全然空きがあるのに忙しくなるからと予測で言われる。
話にならないとわかったので大人げない態度で申し訳なかったが、面接のため自分が休暇、遅刻をしたりという態度を見せたことで最後の1週間だけは使ってよいということになりました。
約3年お世話になり、正社員登用にも推薦してくれていたけど、結局この人は使い勝手のよいコマがほしいくらいにしか見られていなかったんだなとショックでした。
おまけにほぼ体力仕事だったので、これといったスキルも身につくことがなかったのでほんともったいない時間を過ごしたなと感じました。
さいごに
仕事の試験自体は未知との遭遇レベルで楽しかったですが、履歴書に書けるようなスキル自体全く身につかなかったことのもったいなさ、それと一緒に働く人が大事だなと思う期間でした。
僕はその当時は正社員になれるからと耐えていたが、どんでん返しを食らったことですっぱり次いこうとなってよかったです。
皆さんもストレスに耐えるのももちろん大事ですが、自分の人生なので自分で判断して生きていきましょう。
そんな職場ではございましたが、こうして経験談を語ることができてよかったなと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
ではまた。