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死んだら自分は「何者」なのか。『死にかけた僕はまだ芸人を辞めていない』【本の紹介】

読んだ本を適当に取り出して紹介しています。
本はめちゃくちゃ買うんですが、どうしても読むのは遅い。しかし漫画だけは別で、スイスイと読めてしまいます。5巻分くらいならその日のうちに読んじゃいます。

今回紹介するのはナターシャ『死にかけた僕はまだ芸人を辞めていない』です。

ナターシャ『死にかけた僕はまだ芸人を辞めていない』
KADOKAWA/2023年

作者は浅井企画所属のコント師「ニュークレープ」のメンバー。
漫画の主人公は漫才師ですが、自身に起きた出来事を基に構成しています。

芸人。
サブカル好きの典型に漏れず、自分もお笑いが大好きです。
特に地道に自分のセンスを磨いてきた笑いが好きな、まぁ厄介なタイプ。
帯の文字にもありますが、苦労に苦労を積み重ねている存在が芸人の生き方なのだと勝手に思っています。
(こうやってなんでもエモくするのもどうなんだとは思いますが)

そういう「この世界でしか満足に生きられない人間」として芸人を見ている自分としては、ものすごく好きな漫画です。
同時に、そうやって考えたことがまっすぐ自分に返ってくる漫画でもありました。


結成12年目の漫才師である主人公。3年目に漫才賞レースで準決勝に進出して以降日の目を浴びておらず、鳴かず飛ばずの日々が続いていました。
そんなとき、駅で酔っ払いが線路に落ちるのを目撃。通過列車がそこに迫ります。

轟音を立てて来る列車。
目に見えてわかる危険。
しかし、放っておけば確実に人が死ぬ。

葛藤の末、主人公は酔っ払いの救助に動きます。

ホームの下にあるスペース。その目の前を列車が通り過ぎる。
死にかけた。

主人公も酔っ払いも助かったのですが、この「死にかけた」という体験が、主人公の価値観を狂わせていきます。

日常生活に戻った主人公。そこにある疑問が過ぎります。

「もしあのとき死んでいたら、自分は何者として死んだのか?」

自分は売れていない芸人で、収入はバイト頼り。
職業が肩書となるのであれば、その肩書は「フリーター」なのでしょう。
だとするなら、自分がいま生きているこの時間は何なのか?

自分は芸人で、早くこの現状から脱出しなくてはならない。
明日、死んでしまうかもしれないのだから。

一刻でも早く夢を叶えたい。
その焦燥は、誰しもが抱くものだと思います。

現状に不満を持ち、泥沼から足を引き抜こうと試みる。
じたばたと足を激しく動かせば動かすほど、深いところに沈んでしまうなんてわかっているのに。

何かしら志を持って生きている人なら、経験があるでしょう。
冷静になれたらいいのに冷静にはなれない。
なぜなら、時間とかいうやつが後ろから自分たちを追い立てるから。

天才と騒がれる10代は終わり、20代で燻って、先の見えない中年期に入る。
いま中年の人には失礼かもしれませんが、そういう苦しみが若い時代は止まらないもんだとは思うんです。

この焦燥を「金がないから」「安定がないから」という現実にぶつける。
そうやってまた悪循環に陥る。

芸人に留まらない、創作者全般に当てはまる鬱屈した感情を、この漫画では丁寧に拾ってくれます。
「好きでやってる」から別に共感なんかいらないんですけどね。
でも苦しいのは変わらないので、肩を叩いてくれる人がいるのはすごい嬉しいという、それだけの話です。

では、ここから主人公はどうするのか?
この鬱憤をバネにして快進撃を成し遂げるのか?
現実ってそんなふうにできてないですよね。
だからこそ、この漫画は現実に生きる自分たちの味方だと、堂々言い放てるわけです。

自分はなぜ【芸人】をやっているのか?
死んだときに【芸人】だったといえるのか?
それがただの空元気で終わらないためには、どうやって【芸人】という状態に向き合っていればいいのか?

この【芸人】の部分は、それぞれのアイデンティティに置き換えられます。

覚えておきたいのは、ストイックになることばかりが向き合い方ではないし、社会的に成功しているかはもはや関係がないということ。
言い訳じゃないの? と思うかもしれませんが、まずはまだそこに立ち続けている自分を褒めてみてもいいんじゃないでしょうか。

漫画を読み終わったとき、そういう清々しい気分になれると思います。


気になったら是非ご一読を。
ではまた。

↓作者、ナターシャさんの連載ページです。


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