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熱狂、混沌、大阪。『頭の中がカユいんだ』【本の紹介】

読んだ本を適当に取り出して紹介しています。
夏ですね。それ以外にいうことがないくらい夏です。梅雨が大きな夏の下をくぐって抜けていく、中途半端で嫌な季節です。
今日取り上げるのは十月の小説ですが。

今回紹介するのは中島らも『頭の中がカユいんだ』です。

中島らも『頭の中がカユいんだ』
大阪書籍→徳間書店→双葉社→集英社/1986年→1990年→1995年→2008年

中島らも。
小説家、劇作家、コピーライターと幾多のジャンルにまたがって活動した、いわば流浪の作家。
20世紀後半の日本を表すような文化人だと自分は思います。

たしか早川書房のSFアンソロにも作品が収録されていたはず。
そのときのテーマは人体改造とクラブハウス。
アンダーグラウンドと奇想を結び合わせた作家だという印象があります。

タイトルと表紙のセンスで思わず購入。
ホンットにこの文庫版ジャケットがカッコいいんですよ。
それ以上に、まずタイトルですよね。

『頭の中がカユいんだ』。

肉体的なようで肉体的な部分じゃない「頭の中」がカユいんですって。
しかもこのカユみに指は届かない。なんでって頭の中だから。
想像に容易い不快と皮肉。
この作品を象徴する、切れ味の鋭い一文です。


さて、この本の内容に入っていきましょう。
現実を下敷きにしたエッセイと完全な架空から生まれる小説。
それが『頭の中がカユいんだ』の正体です。
平たくいえば「体験を基に脚色した小説」ですし、中島らもにいわせれば「ノン・ノンフィクション」に分類されます。

妻と子を残して家出した主人公(=作者)。
広告会社に勤める彼は回想などを交えながら、大阪という混沌の都市を生き残ろうと奮闘します。
縦軸の存在しない、モノの散乱した部屋みたいな文章が始まります。

具体的に何が起こるのか、少し列挙しましょう。

  • 会社で寝泊まりする。

  • 生活費を稼ぐためにテレビ局に即興で書いたコントを買わせる。

  • あまりにストレートすぎる『売人』に遭った記憶を思い出す。

  • 阪神のバースのハリボテを被って、からかってきた小学生の顔面をぶん殴る。その後、別の人間にそのハリボテを押し付ける……。

これは物語ではないので、時間経過で話が変わっていきます。
日常を切り取った小説ですが、その日常がしっちゃっかめっちゃかです。
あの時代の大阪、猥雑の中へと読者は放り込まれてしまいます。


こんな滅茶苦茶な本が読めるか! 
そこの人、少し待ってください。
たしかに滅茶苦茶ではありますが、中島らもが持つ文体の力を存分に味わうことのできる一冊でもあります。

様々な行き交う空間や、生きることに伴う些細な切なさ。
映像でも捉えることの難しいその瞬間を、突然こちらに突き刺してきます。

例えばこちら。
会社の社長は元ボクサーで喧嘩が強い。
そんな内容の文章から、こう飛躍します。

強い男はうらやましい。ケンカが早くすむ。僕らのケンカはウダウダといつまでも終わらない。みっともない。一生続く。

やめろ! 急に巻き込むな!
尊敬の裏側にある卑下を、過度に装飾することなく吐き出しています。

自分が惹かれたのはこの湿っぽさです。
綺麗なモノを見続けると疲れてしまう人は、この湿った文章の感度がちょうどいいのではないでしょうか。
情景描写もこうした描かれ方をします。
具体的な街の配置を書かず、抽象的なままで大阪の猥雑さを描きます。

 実際、ここいらは昔、太融寺の寺領で広大な墓場と刑場のあった所である。幽霊なんぞゴロゴロしている。地中は骨で一杯だ。そんな上にソープランドやラブホテルがギッシリと建っている。タクアンの重しみたいに。極道の事務所もごまんとある。連れ込みホテルの窓からイッパツ終わった虚脱の目をおとすと、走り去るサラリーマンと追っかけのチンピラの好レースが見れるときもある。殺しもある。オカマもいる。みんながお骨の上を逃げまくり、撲りまくり、吐きまくり、殺しまくり、盗みまくり、犯りまくり、吠えまくり、泣きまくり、嘲笑いまくり、死にまくる。みんな祟られている。ただし幽霊にではない。この人の海を見ればわかる。圧倒的なこのガラクタどもの数量。一人一人に憑りついているヒマなど、とてもじゃないがないだろう。(以下は省略)

すごいでしょ、この描写。まだ続くんですよ。
こういう表現が何回も登場します。
読んでいると笑いが出てきますよね。嫌な笑いが。

笑いと哀愁。
そこに留まるところのない、放浪の男。
大阪という世界で、混沌に揉まれる。
それがこの小説の「世界観」なのです。


気になったら是非ご一読を。
ではまた。


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