
ジョブ型人事制度と離職問題
ここ数年、大手企業を中心に多くの企業が、一般に「職に人が付く」と言われるジョブ型人事制度の導入に踏み切ってきました。それとほぼ同時期に、エンゲージメントの低下や特に若年層を中心とした早期離職の問題が表面化してきました。しかし、意外なことに、新人事制度とそれらの問題を結び付けて議論された記事等は、ほとんど目にすることはありません。今回は、濱口桂一郎の『賃金とは何か』をテキストに、その関係性に踏み込んでみたいと思います。
ジョブ型人事制度自体は、従業員の高齢化や産業構造の変化対応など、自社の構造改革を迫られた企業を中心に2020年頃から導入が活発化しました。政府も先進分野への労働移動やリスキリングを進めるために、ジョブ型人事制度の導入を後押ししてきました。
現在の動き
多少の遅れはあるものの、岸田総理も2022年9月22日のニューヨーク証券取引所でのスピーチにおいて、職能給から職務給への給与制度の見直しという形で、ジョブ型人事制度の導入促進について言及しました。
2023年1月23日の第211回国会の施政方針演説においても、岸田総理は賃上げ実現に向け、職務給への移行が急務であるとし、近々、類型化したモデルを示すと述べました。
そして、2024年8月28日、内閣官房、経済産業省、厚生労働省連名で『ジョブ型人事指針』が公表されました。
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「職務(ジョブ)ごとに要求されるスキルを明らかにすることで、労働者が自分の意思でリ・スキリングを行え、職務を選択できる制度に移行していくことが重要である。そうすることで、内部労働市場と外部労働市場をシームレスにつなげ、社外からの経験者採用にも門戸を開き、労働者が自らの選択によって、社内外共に労働移動できるようにしていくことが、日本企業と日本経済のさらなる成長のためにも急務」というキャッチフレーズで、235ページにわたって、20社の導入モデルが紹介されています。
導入モデルを読んで感じたのは、特に大手企業のビッグネームは、大規模なリストラクチュアリングなど、大規模な構造改革を行ってきた企業が多いという点でした。
GHQ主導のジョブ型導入とその失敗
戦後の占領下でGHQは、戦争当時の国家社会主義的な賃金制度を資本主義的なものに改める目的で、ジョブ型の人事制度の導入を目指しました。それまでは、年功制に家族手当と、賃金には生活給を基本とした考えがありました。賃金が労働の対価となっていないことを社会主義的と捉えたGHQは、職階制を提唱し、階層に応じた賃金へと、つまり、役職(ジョブ)と賃金が紐付くように制度を改めようとしました。まず手始めに、1950年、国家公務員を対象に「職階制」が導入されました。1955年には日経連から『職務給の意義』が出され、「学歴や年齢、生活費を基準とするような賃金制度は労働の対価である賃金の本質に反する」として、ジョブ型の導入が推奨されました。
しかし、早くもその2年後の1957年には、同じく日経連から、前言を覆すような報告書が提出されました。『現下の賃金政策と賃金問題』と銘打たれたこの報告書では、職務制度の行き詰まりが論じられ、その一方で、日本には「昇給制度」が不可欠とされました。いうまでもなく、ジョブ型では、職務に賃金が紐付くため、給料を上げようと思うと、昇進するか転職するかということになってきます。日経連はその点を指摘し、ジョブ型は理想的としながらも、定期昇給がなくなれば従業員のモチベーションが保てないと指摘しました。
1958年の『当面の日本経済と賃金問題』(日経連)では「当面昇給制度の合理化と近代化を基幹とする賃金管理によって、職務に対応する賃金への道に努力せねばならない」という表現があり、本音がどこにあるか分からないようになり、混迷度が深まってきました。
さらに、1959年の『わが国労働経済の現況と賃金問題』(日経連)では、「職務給制度による昇給は、配置転換、転職、昇進の結果として起こる」として、定期昇給がないというジョブ型制度の問題点を改めて指摘しました。
そして、1980年の『新職能資格制度』(日経連)がとどめとなり、そのジョブ型人事制度についての議論は約40年間にわたり封印されることになりました。その『新職能資格制度』の中では、新制度とされた職務給が、職務給と比較され、以下のポイントをもって紹介されました。
・輸入した職務中心の諸制度が日本の雇用慣行に適合しないことが続々と検証されている
・年功的な処遇や昇進システムのほうが従業員のメンタリティとかみ合う
・昇給への満足感を無視した人事制度はモラール(※「士気」の意味)からみても重大な反省
改めて現在の状況
職務給から職能給へ切り替わる時代に、当時の日経連が指摘している通り、定期昇給のない(きわめて少ない)組織では、エンゲージメントの維持が極めて困難であるのは事実です。昇進がなければ、入社1年目でも5年目でも同じ給料ということになります。だとしたら、5年間何を学んで、何に貢献してきたか分からないということになります。もちろん、何十段階という階級があって、2~3年で勝手に昇格・昇給していくなら話は別ですが、新しいジョブ型制度はポストの数が限られています。
昇進しなければ給料が上がらない組織においては、上が詰まった社内で昇進のために努力することほど馬鹿げた選択肢はありません。予め高いポジションで募集している、もしくは、同一業務でより高い賃金を提示している、いずれも他の組織に移ったほうが戦略的なキャリア構築ができるというものです。つまり、組織のエンゲージメントの低下と若年層の離職問題はジョブ型の人事制度の影響とは切り離せないのではないかというのが結論です。
改めて、岸田総理のニューヨーク証券取引所でのスピーチの内容を見ていきましょう。
まずは労働市場の改革。日本の経済界とも協力し、メンバーシップに基づく年功的な職能給の仕組みを、個々の企業の実情に応じて、ジョブ型の職務給中心の日本に合ったシステムに見直す。
これにより労働移動を円滑化し、高い賃金を払えば、高いスキルの人材が集まり、その結果、労働生産性が上がり、更に高い賃金を払うことができるというサイクルを生み出していく。
ジョブ型の人事制度メリットとして、まず、「労働移動の円滑化」が挙げられています。必ずしも若年層の早期退職を意図したものではないにしても、「転職」は政府としては“ウェルカム”ということです。そして、「高い賃金を払えば、高いスキルの人材が集まり」とありますが、優秀な人材を取りたかったらポストごとの給与を上げなさいという意味です。ということは、高い給与を支払えない組織は優秀な人材がキープできなくなってきます。そして、更には、生産性の向上を伴ってということですが、「更に高い賃金を払うことができるというサイクル」ができるなど、青天井なこと言っています。
こういう状況下にあっては、企業経営や人事は大変です。「環境に適合したものが生き残る」と、研修などではよく、講師から教わっていると思います。まさに生き残りをかけて、政府主導で作られる「環境」に適合していく必要があります。「労働移動」が目的ですので、当然、今、国会初め取り沙汰されている「解雇規制の緩和」もセットで考える必要があります。そのためには、日頃から従業員には、「キャリア自律」を促しておく必要があります。
一方で、人類はどこかで自分たちの歴史を振り返る必要があります。産業革命以降、近代社会という、敷かれてきたレールがあります。かつては乗り遅れるなというのがスローガンでしたが、今は、そのレールが人類の滅亡にしかつながっていないことがだんだん分かってきました。そこから飛び降りることは、そのまま乗り続けていることに比べ、何倍もの勇気が必要です。例えば、奈良大学の堀田新五郎教授のもとでは「撤退学」という学問が研究されています。自らの意志で競争に参加しないこと。行きつくところに行きつく前に、「勇気ある撤退」という選択肢が残されていることは知っておくべきだと思います。
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