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組織文化が持つ「コード」と全体性について

例えば、私が会社に出勤する際、ビルに入ってエレベーターに乗った瞬間、パキッと入るスイッチがあるとします。いや、正確には、朝、家を出る前、スーツの上着に袖を通した瞬間に入るスイッチかもしれません。
 
いずれにしても、ほぼすべての社会人は、特定の環境において、その場に備わっている文脈に合った役割を演じることを求められます。例えば、会社でいうと、管理職の役割を演じる、といった具合です。そのモードになることを「コード・スイッチ」と呼びます。そこでは、演じる役割ごとに使ってよい言葉や取ってよい態度が規定されます。当然、同時にNGワードやNGな行動も規定されます。役割に応じた「ふさわしい」文脈が与えられるわけです。それが組織文化が持つ「コード」です。
 
しかし、その「コード」が強すぎると、組織の「全体性」は棄損されます。例えば、会議の際に一石を投じる発言をした人が、空気を読めない、立場にふさわしくない発言だと言われ、爪弾きにされるといったイメージです。
 
この「コード」は本人を縛るだけではありません。例えば、「忖度」といった態度は代表的なものですが、本人の周囲にいる人たちもそのコードを守ることに必死になります。つまり、無意識にそのポジション自体やお互いの関係性の固定度を再確認し、さらに強化を図ろうとするのです。
 
「全体性」が高いレベルで保たれた組織では、場から受け取ったメッセージを全体に向けて発信することができます。いま、自分が何を感じ取っているのかということが尊重されます。ただ、それが場に共有された際、一部の人は痛みを感じるかもしれません。しかし、それが本当にオープンな組織の姿です。
 
「コード・スイッチ」の少ない組織は、「全体性」がキープできた組織です。そういう組織を実現しようと思ったら、具体的なイメージを持つことが重要だと思います。例えば、いちいち相手の顔色を窺わなくても済む、井戸端会議のような空間。あるいは、もっと身体感覚的な「わちゃわちゃ」した組織、など。
 
「全体性」と「コード・スイッチ」については、以下の動画でフレデリック・ラルー氏が詳しく述べています。


最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。