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数えないで生きる

「嫌われる勇気」の著者である、岸見一郎さんのエッセイです。

高齢の方に「人生で後悔していること」を聞くと
「働きすぎなければ良かった」
と回答する人が多いと聞いたことがあります。

最近妻を亡くしたばかりだという七十代の男性が
「仕事なんかどうでもよかったのだ」
と話したというエピソードが本書で紹介されています。

多くの人が疑うことなく目指す成功は、決して唯一絶対の人生目標ではないが、皆が目指しているからといって皆と同じ人生を生きようとする人は、自分の人生を生きているとはいえない。

岸見一郎「数えないで生きる」

生涯、時間に追われて生きてきた人は、
定年を迎え、会社に行く必要がなくなると
たちまち暇をかこつようになってしまいます。
その暇を手に入れるために働いてきたはずなのに。

仕事はできる人ができる時にする。
ただそれだけのことです。


競争から降りる

勉強は人と競争するとたちまちつまらなくなります。
勉強は本来楽しいことであるはずなのに、
制限時間内に問題を解くテクニックばかり身に付けさせられます。

競争社会は敗者のことを考えません。
競争して勝てなかった時はどうすればいいのでしょうか?

「ただ、競争から降りればいい」
と著者は言います。
成功などしなくていいのです。

若いうちは、競争とは無縁に学ぶことはなかなか難しいかもしれません。
しかし、大学入試に落ちたり、試験に受からなかったからといって、
学んだことが無駄になるわけではありません。

何かを学ぶ時はただ知識だけを学ぶのではありません。
学びを通して多くのことを学ぶことができますし、
それまで知らなかったことを学ぶことが生きる喜びに繋がります。


森の中で迷ったら

デカルトは、森の中で迷った時は立ち止まってはいけないと言います。
同じ方向に真っすぐ歩き続ければ、最後にはどこかに行き着く。
その方が森の真ん中にいるよりはいいというわけです。

岸見一郎さんはこの考えを否定します。
一度決めたからといって決心を翻してはいけない理由はない。
これからどうするかを考えるためには立ち止まる必要がある。
迷ったのに歩き続ければ、森の外に出られるという保証はどこにもないと主張します。

デカルトが正しいのか、
岸見さんが正しいのか私には判断できません。
どちらも間違っていない気がします。

立ち止まって一度じっくり考えるのも良し。
とにかく歩いてみて、やっぱりこの道は間違っていたということが分かったら引き返すのも、それはそれで良い気がします。

立ち止まってもいいんだ、ということは心に留めておきたいです。

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